三根郷(読み)みねごう

日本歴史地名大系 「三根郷」の解説

三根郷
みねごう

郷域は現神埼郡神埼町大字姉川あねがわから同郡千代田町大字姉辺りの地域に比定される。郷名は「肥前風土記」に、

<資料は省略されています>

とみえる。景行天皇行幸の時、この地に泊り、安らかに眠れたので「御寐安みねやす村」とよんだことに始まると伝える。

三根郷
みねごう

和名抄」にみえる郷名。同書の高山寺本をはじめ諸本ともに下県郡のうちとするが、これは上県郡の誤り。諸本とも三根と記し、訓を欠くが、中世に「ミねのくんし」とみえることから(正平一〇年五月二日「宗維茂書下」与良郷宗家判物写)古代にもミネであったと考えられる。また郷名はこのように中世に郡名として継承されて近世に及び、元禄一二年(一六九九)の郡郷改正で古名に復している。その郷域は遺称地の現みね町三根を中心に対馬の島央部やや北側を東西に横断する一帯で、東面の佐賀ひがしめのさか浦、西面の三根浦などの入江に恵まれ、佐賀浦では日本海文化と東シナ海文化の合流を示唆する佐賀貝塚がある。三根浦のガヤノキ遺跡・タカマツノダン遺跡・サカドウ遺跡では舶載の漢鏡・青銅器と奴国産の文物がみられ、原対馬国の王都であった可能性をつよく印象づけている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報