三根村(読み)みねむら

日本歴史地名大系 「三根村」の解説

三根村
みねむら

[現在地名]峰町三根

現町域の西部中央に位置し、伊奈いな(現上県町)境の高野たかの山など連山に源を発する三根川が三根浦(三根湾)に注ぐ。この流域の大久保おおくぼ上里かみざと中里なかざと下里しもざと田志たしはまなどからなる散村で、古来三根郷の主邑であった。「和名抄」に記される上県郡三根郷、中世にみえる対馬八郡の一つ三根郡の遺称地。「津島紀略」では美女とも記され、村は上里中村なかむら井手いで坂根さかね田口たくちの五村からなる。中心の中村は小峯こみねとも称し、中世よりみえる。対馬六観音の一つ三根観音は峰寺(廃寺)に安置された十一面観音で、岩佐氏が住持を勤めた。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「こみね」とみえる。正保二年(一六四五)の物成一六七石余のうち麦一五九石余・籾七石余(二郡村々物成)。寛文二年(一六六二)検地帳では峯郡小峯村として高九三石余。

三根村
みつねむら

[現在地名]八丈町三根

島の中央北東部に位置する。北東は海に臨み、南にひがし(三原山)北西八丈富士がそびえる。南西大賀おおか郷。集落の南側を東山を水源とするかも川が流れる。同川は川尻が海に達せず、疎林の中で消えている。安永三年(一七七四)の伊豆国附島々様子大概書によると、反別は田一一町余・畑一六町五反余、戸口は一三二軒・一二三九人、ほかに流人二五人(うち浮田流人三)、牛一五七。集落の北に位置する神湊かみなと(神湊港)は中世以来重要な港として利用されてきた。しかし昭和四一年(一九六六)に神湊港の南東方に底土そこど港の桟橋が完成したことにより、現在は漁港として利用されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報