三尾分(読み)みおぶん

日本歴史地名大系 「三尾分」の解説

三尾分
みおぶん

[現在地名]浜坂町三尾

赤崎あかさき村の北にある漁村で、近世には同村の枝村であった。北は湾入する日本海に面し、他の三方は山に囲まれていて、かつて陸の孤島といわれた。しかし昭和二五年(一九五〇)に幅一・八メートルのトンネルが開削され、同五七年には大型車も通行可能な新トンネルが開通し、交通の便はよくなっている。大三尾おおみお(東側)小三尾こみお(西側)の二つの集落からなり、湾の入口にはおお(三尾大島)が浮ぶ。なお慶安五年(一六五二)の一札(中村家文書)では大三尾を「仁尾」、小三尾を「小尾」と記している。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」には「にほのうら衆」とあり、当地には「にいの殿」・小谷殿などが住していた。清富相応峰きよどめそうおうみね寺の過去帳の永禄四年(一五六一)分には「大三尾村ノ太郎衛門 道重」、同一〇年分に「三尾村ノ又左衛門 道真」の名がある。江戸時代の領主変遷本村赤崎村と同様で清富村に同じ。郷村帳類では赤崎村の高に含まれて高付されているが、「二方考」によれば赤崎村のうち高一四石余が三尾分で、他に小物成の海役銀四匁一分二厘が課せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報