三好退蔵(読み)みよし・たいぞう

朝日日本歴史人物事典 「三好退蔵」の解説

三好退蔵

没年:明治41.8.20(1908)
生年弘化2.5.7(1845.6.11)
明治期の司法官高鍋藩(宮崎県)藩士。明治2(1869)年行政官に出仕。以後徴士待詔局参事,伊万里県少参事,司法大書記官,司法少輔などを歴任。この間,伊藤博文に随行して欧州へ派遣され,裁判制度調査などに従事。19年3月司法次官,23年10月検事総長に就任。大津事件では法律の適用に関し児島大審院長と同じ意見を抱きながらも,検事総長の立場上政府の指示に従って職務を遂行した。26年3月大審院長。三好が担当した懲戒裁判で判事の身分保障に関する法律解釈が他の多数の判事と異なったため,29年10月大審院長を辞任。弁護士となり,東京弁護士会会長を務めた。30年12月貴族院議員に勅選。晩年は感化事業に尽くした。<参考文献>楠精一郎『明治立憲制と司法官』

(楠精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三好退蔵」の解説

三好退蔵 みよし-たいぞう

1845-1908 明治時代の司法官。
弘化(こうか)2年5月7日生まれ。もと日向(ひゅうが)(宮崎県)高鍋(たかなべ)藩士。司法省にはいり,明治15年伊藤博文に随行してヨーロッパの裁判制度を調査,19年司法次官。23年大審院検事総長となり,翌年大津事件を担当。26年大審院長。のち貴族院議員,東京弁護士会会長。明治41年8月18日死去。64歳。本姓田村

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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