三侠五義(読み)さんきょうごぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三侠五義」の意味・わかりやすい解説

三侠五義
さんきょうごぎ

中国、清(しん)代の末につくられた通俗小説。120回。原名は『忠烈侠義伝』。単弦芸人の石玉崑(せきぎょくこん)(1810?―71?。字(あざな)は振之(しんし)、天津(てんしん)の人)が、北宋(ほくそう)の包拯(ほうじょう)の名裁判物語『竜図公案(りゅうとこうあん)』などを素材として語った講談を筆録したもの。初版は1879年(光緒5)。前半は宮廷内の争いで追われた仁宗(じんそう)の母の無実を明らかにするなど包拯の名裁判官としての活躍、後半は彼に心服した3侠人(実際は4人)と5義賊が、悪人を懲らしめ弱きを助ける痛快な物語であり、当時の世相がよく描かれ、清代の侠義小説では傑出しているが、包拯・仁宗のほかは架空の人物である。これに兪樾(ゆえつ)は、侠人を3人加え、史伝にあわせて改作し『七侠五義』と題して1889年(光緒15)に出版した。続作に1代下の5侠人が活躍する『小五義』124回、『続小五義』124回がある。いずれも政府に協力する点で、「招安」後の『水滸伝(すいこでん)』後半の流れをくむといえる。

[尾上兼英]

『鳥居久靖訳『中国古典文学大系48 三侠五義(抄)』(1970・平凡社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三侠五義」の意味・わかりやすい解説

三侠五義
さんきょうごぎ
San-xia wu-yi

中国,清末の口語章回小説。石玉崑の作。 120回。光緒5 (1879) 年刊作者北京講釈師で,その講談を筆記したのが本書。初め明末の裁判小説『包公案』『竜図 (りゅうと) 公案』をもととした,宋代の名判官包拯 (ほうじょう) の名裁判物語が繰広げられるが,26回頃から筋立てが変り,三侠五鼠 (ごそ) と呼ばれる侠客たちの活躍が主題となり,やがてすべて帰順して功を立てるという『水滸伝』的な結末で締めくくられる。清末の小説中すぐれたものの一つ。兪 樾 (ゆえつ) がこれを読んで感心し,第一回を書直して『七侠五義』として同 15年に出版してから広く読まれるようになり,『小五義』『続小五義』などの続作,模倣作も多く現れて,清末における侠義小説,裁判小説の一つの流行を生むもととなった。

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百科事典マイペディア 「三侠五義」の意味・わかりやすい解説

三侠五義【さんきょうごぎ】

中国,清末の長編白話小説。石玉崑(せきぎょくこん)の講談をまとめたもの。1879年北京刊。正しくは《忠烈侠義伝》。全120回。宋の包拯(ほうじょう)の名裁判と,三侠客(実は4人)・五義賊の活躍を描く。未完のため,《七侠五義》等続作が多い。《竜図公案》の系統を引く。

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