七左衛門村(読み)しちざえもんむら

日本歴史地名大系 「七左衛門村」の解説

七左衛門村
しちざえもんむら

[現在地名]越谷市七左町しちざちよう新川町しんかわちよう

蒲生がもう村の北西出羽でわ堀と綾瀬川との間に広がる低地帯に立地。神明縁起書(会田家文書)によると当地は寛永(一六二四―四四)神明下しんめいした村の会田七左衛門政重が開発した新田という。開発前の当地一帯は沼沢地で、出羽堀は会田出羽がこの地の干拓のため造成した排水堀と伝える(越ヶ谷瓜の蔓)。七左衛門政重はこの会田出羽の養子で、元和年間(一六一五―二四)関東郡代伊奈忠治配下の地方代官として各地の検地に当たっていたが(風土記稿)、またこの沼沢地の開発に努め美田と化し、とくに忠治より七左衛門新田の呼称を許されたという。政重は寛永一九年に没し、その子孫は代々伊奈氏に仕えた(前掲縁起書)。田園簿には新田槐戸しんでんさいかちど村とみえ、高は田方九八七石余・畑方三二石余、幕府領。のち同村から大間野おおまの村・越巻こしまき村が分立する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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