日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
一条冬良(いちじょうふゆら)
いちじょうふゆら
(1464―1514)
室町後期の公卿(くぎょう)、学者。名は「ふゆよし」とも読む。寛正(かんしょう)5年6月、関白(かんぱく)一条兼良(かねら)の子として生まれる。母は従三位(じゅさんみ)の町顕郷(まちあきさと)の女(むすめ)。大乗院尋尊(だいじょういんじんそん)の異母弟。法号は後妙華寺(のちのみょうけじ)。兄教房(のりふさ)の子で一条家の家督たるべき政房(まさふさ)が1469年(文明1)に横死したため、父兼良の配慮で教房の養子となり、一条家を継いだ。86年内大臣、88年(長享2)関白、93年(明応2)太政(だいじょう)大臣と要職を歴任し、永正(えいしょう)11年3月27日、51歳で没した。著作に『世諺(せげん)問答』などがある。
[横井 清]