ワシントン(Booker Taliaferro Washington)(読み)わしんとん(英語表記)Booker Taliaferro Washington

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ワシントン(Booker Taliaferro Washington)
わしんとん
Booker Taliaferro Washington
(1856―1915)

アメリカの黒人運動指導者、黒人教育家。4月5日、バージニア州奴隷として生まれ、1865年に9歳で解放される。働きながら教育を受け、ハンプトン学院を卒業、教職についたが、81年、黒人のための専門学校タスキーギ大学を創設する任を受け、以後34年間、学長としてその発展に尽くした。黒人の生活向上に役だち、白人の支持と援助も得られるものとして黒人教育を構想したワシントンは、実業教育こそその中心形態であるべきだと主張し、その実践を広めた。95年、アトランタ博覧会で演説し、黒人に対しては社会的平等の要求よりも勤勉に働いて富を蓄えることが先決であると説き、白人に対しては南部の産業発展に黒人が有用不可欠であると訴えたことは、ワシントンを、政治的要求を抑え経済的利益で白人と黒人の和解を目ざすスポークスマンとして一躍有名にした。

 彼は、黒人の自助を奨励し、黒人実業家の育成を重視して、1900年には全国黒人実業家連盟を組織、初代会長を務めた。資本家や政治家など有力な白人の支持を獲得したワシントンは、自ら政治家になりこそしなかったが、黒人への援助金や任官の決定に際してはかならず相談を受けるほどの政治力をもち、黒人社会内における批判的な潮流には抑圧も辞さない権力者でもあった。その後ナイアガラ運動がおこされ、全国黒人向上協会が結成されて、ワシントンもしだいに守勢に回らざるをえなくなったが、15年11月14日タスキーギで没するまで、両人種の調停者として果たした役割は大きく、教育家としても国際的な影響力を及ぼした。

 日本では、自伝『奴隷より立ち上がりて』Up From Slaveryが訳されているほか、1920年には朝鮮総督府学務局がアメリカの黒人教育について調査研究した報告にワシントンの所論が詳しく紹介されている。タスキーギ大学構内にあるワシントン邸の書斎には、1906年に明治政府が寄贈した黒檀(こくたん)の椅子(いす)が保存されており、それ以前にワシントンが日本に知られていたことがわかる。

[中村雅子]

『稲澤秀夫訳『奴隷より立ち上がりて』(1969・真砂書房)』

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