日本大百科全書(ニッポニカ) 「レイ(イランの地名)」の意味・わかりやすい解説
レイ(イランの地名)
れい
Rayy
イラン、テヘラン南方約10キロメートルに位置する古都。メディア時代にはラガーとして知られていた。名所アリーの泉に代表されるように、アルボルズ山脈の伏流水に恵まれ、古くからゾロアスター教の聖地であった。また、バグダードと中央アジアとを結ぶホラサーン街道の要地として発展した。10世紀にはブワイフ朝の中央イラン支配の拠点となり繁栄した。その後、ガズナ朝の支配下に入り、セルジューク朝時代には一時その首都となった。セルジューク朝初代スルタンのトゥグリル・ベクもこの近郊で死んでいる。住民の間にはスンニー派、シーア派の対立が目だち、12世紀には両者の抗争によって荒廃した。さらにモンゴルの侵入の際に住民の逃亡や手工業者の強制移住によって人口が減少、中心は東方のバラーミーンに移った。15世紀初頭には、すでにレイは無人の状態であったという。しかし現在ではテヘランを中心とする首都圏の一部となり、ベッドタウンとして、人口も増加している。
[清水宏祐]