リカルテ(英語表記)Artemio Ricarte

改訂新版 世界大百科事典 「リカルテ」の意味・わかりやすい解説

リカルテ
Artemio Ricarte
生没年:1863-1945

フィリピン革命の軍事指導者。ルソン島北イロコス州バタック町出身。マニラサント・トマス大学師範学校を卒業後,カビテ州で初等教育塾の教師となり,また秘密結社カティプーナンの会員となった。1896年フィリピン革命が勃発すると,革命軍将軍として活躍した。アメリカ占領後,アメリカへの忠誠を拒否して入獄流刑の生活を繰り返し,1915年日本へ亡命した。初めは名古屋で土工として働いたが,22年にビハリ・ボースの世話で上京後藤新平の紹介で東京駒場の海外植民学校でスペイン語を教えた。41年日本軍のフィリピン占領にあたって協力を求められ,宣撫工作従事,45年7月山下兵団と敗走中,イフガオ準州で病死した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「リカルテ」の解説

リカルテ Ricarte, Artemio

1866-1945 フィリピンの独立運動家。
1866年10月20日生まれ。秘密結社カティプーナンにはいりスペインからの独立運動にくわわる。1896年のフィリピン革命では革命軍将軍として活躍。スペインに代わるアメリカの占領に反対して大正4年日本へ亡命。第二次大戦中,日本軍のフィリピン占領に協力し,山下奉文(ともゆき)の兵団と敗走中の1945年7月31日郷里ルソン島の山中で病死。78歳。サント-トマス大卒。
格言など】平和の鐘のなるまで祖国の土をふまず(日本亡命に際してのことば)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例