ヤロスラフ(1世)(読み)やろすらふ(英語表記)Ярослав Ⅰ/Yaroslav Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤロスラフ(1世)」の意味・わかりやすい解説

ヤロスラフ(1世)
やろすらふ
Ярослав Ⅰ/Yaroslav Ⅰ
(978ころ―1054)

ロシアのキエフ大公通称Мудрый/Mudrïy(賢公)。ウラジーミル1世の子。父の存命中からノブゴロド公として勢力を伸ばし、父の死後は、他の兄弟を殺して大公位についた長兄のスビャトポルクSvyatopolk(980ころ―1019)と争った。ポーランド王ボレスワフ1世と結んだ兄に一度敗れたが、その後兄を追い、自ら大公となった(1019)。彼はポーロツクを除くロシアの地のほとんどを支配下に置き、西方リトワ(リトアニア)人地域にも勢力を拡大した。内政面では『ヤロスラフ法典』を公布して支配体制を整備し、キエフ府主教にロシア人イラリオンを任じて教会への影響力を強めた。彼は学芸を奨励し、ビザンツや諸外国の書物を翻訳させるなどしたので「賢公」とよばれた。

[栗生沢猛夫]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヤロスラフ(1世)」の解説

ヤロスラフ(1世)
Yaroslav Ⅰ

978〜1054
ロシアのキエフ公国の大公(在位1019〜54)
ノヴゴロド人の協力を得て即位。長く諸公と争い,1036年に全ルーシ(古代ロシア)を統一ビザンツ文化を奨励し,ロシア最古の法典を編纂

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