キエフ公国(読み)キエフコウコク(英語表記)Kievskoe Knyazhestvo

デジタル大辞泉 「キエフ公国」の意味・読み・例文・類語

キエフ‐こうこく【キエフ公国】

キーウ公国

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精選版 日本国語大辞典 「キエフ公国」の意味・読み・例文・類語

キエフ‐こうこく【キエフ公国】

中世ロシア南部に形成された国。キエフを首都として、一〇世紀ころにはドニエプル川流域一帯を領有。一三世紀にモンゴル族に滅ぼされた。キエフ大公国キエフロシア。キエフルーシ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キエフ公国」の意味・わかりやすい解説

キエフ公国
キエフこうこく
Kievskoe Knyazhestvo

古代ロシア (ルーシ) の国家。ドネプル川中流右岸キエフを中心とする公国。9世紀末から 13世紀にかけてその公が大公として周辺諸公国に君臨したことにより,ロシア最初の統一封建国家 (キエフ・ルーシ) となった。大公は一族を征服地の公に封じ,巡回徴租によって産物を貢納させ,奴隷の獲得と通商路の確保のために草原地帯の遊牧民族と戦い,また有利な通商条約を求めてコンスタンチノープルへ遠征した。ビザンチン帝国との接触は東ローマ文化がルーシの地にもたらされるきっかけとなり,10世紀末ウラジーミル1世 (聖公)のときギリシア正教が国教とされたほか,11世紀前半ヤロスラフ1世 (賢公)治世にはギリシアの修道士の指導のもとに最古の法典『ルースカヤ・プラウダ』が編纂され,古代ロシアの社会組織が整備された。公の死後,分封諸公の政治的自立が始り,公位継承をめぐる諸公間の争いでキエフは内乱に突入。加えて,11世紀末より始る黒海方面の遊牧民族ポロベツ (クマン) 人の侵入を押え切れず,国土は荒廃した。 1169年ウラジーミル=スズダリ公アンドレイ・ボゴリュプスキーのキエフ占領でその宗主権下に入り,政治的命脈が絶たれ,1240年バトゥの率いるキプチャク・ハン国軍によって完全に破壊された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キエフ公国」の解説

キエフ公国(キエフこうこく)

キエフを中心にし9~13世紀に存在した東スラヴ族の最初の国家。初代の公はオレーグヴラジーミル1世のときキリスト教摂取ヤロスラフ1世時代に国土が繁栄したが,その死後は息子たちに分割相続され,このことから内紛を生じ,分裂した。遊牧民ポロヴェツ人の侵攻がはなはだしくなるに及んで国運が衰え,13世紀モンゴルの侵入を受けて,その政治的存在を終えた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キエフ公国」の解説

キエフ公国
キエフこうこく
Kiev

9〜13世紀,キエフを中心に存在した東スラヴの封建国家
882年,ノヴゴロド国のオレーグ公がドニエプル沿岸を征服してキエフに都し,912年リューリクの子イーゴリを大公に推したのに始まる。彼らルーシ(ノルマン人)は人口では多数派のスラヴ人に次第に同化されていった。10世紀末大公ウラディミル1世はビザンツ皇帝の妹と結婚,ギリシア正教を公認宗教とし,ビザンツ文化がロシアに流入した。バルト海から黒海に至る大領土を形成し,交易で繁栄した。1240年モンゴルのバトゥに滅ぼされ,キプチャク−ハン国の支配下に置かれた。

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