ミハイル(8世)(読み)みはいる(英語表記)Michael Ⅷ Palaeologos

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミハイル(8世)」の意味・わかりやすい解説

ミハイル(8世)
みはいる
Michael Ⅷ Palaeologos
(1224ころ―1282)

ビザンティン皇帝(在位1261~82)。軍人ながら政治と外交手腕に秀でた皇帝として、帝国最長のパレオロゴス朝(1261~1453)を開く。ニカイアの亡命政権下のヨハネス4世の摂政(せっしょう)のとき、ラテン王国からコンスタンティノープルを奪回し(1261)、ビザンティン帝国を再興した。シチリアのシャルル・アンジュー王の反ビザンティン路線に対し得意の外交手腕で対抗した(シチリアの晩鐘、1282)。1274年、リヨンの公会議で東西両教会の統一宣言に署名し、ローマ教皇の援助を期待したが、かえって国内の宗教分裂を深めた。また軍事援助と引き換えにジェノバに与えた関税特権は国の経済活動の不振を招いた。

和田 廣]

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