ペロン(Juan Domingo Perón)(読み)ぺろん(英語表記)Juan Domingo Perón

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ペロン(Juan Domingo Perón)
ぺろん
Juan Domingo Perón
(1895―1974)

アルゼンチン軍人、政治家。中間層のイタリア系移民の息子としてブエノス・アイレス市近郊に生まれ、陸軍士官学校、陸軍大学に学ぶ。卒業後母校で軍事史を講義し、戦略論や戦史に関する数冊の著書を著した。1939年に渡欧してムッソリーニに傾倒し、帰国後、親枢軸派の統一将校団GOU)に参加。1943年にGOUのクーデターを指導して労働福祉庁長官となり、陸相、副大統領も兼務して実権を掌握する。農業国から工業国への転換期における労働者の政治勢力に着目して、賃上げ、年金、労働法規など労働者保護政策を打ち出した。しかしこの政策を危険視する勢力は彼を軟禁したが、ペロンを支持する労働者のデモによって政界復帰し、1946年に大統領に選出された。

 第二次世界大戦直後の豊かな財政を背景に、ペロンは労働者の保護と規制を強めて労働者を体制内化し、工業化、基幹産業の国有化、自主外交を進めた。その政治理念は、資本主義と共産主義を排して第三の道によって社会正義を実現する正道主義にあった。しかし財政はしだいに悪化し、1952年には片腕であった夫人エバを失い、離婚法の制定などによりカトリック教会から破門された。1955年にペロンは軍のクーデターで追われて亡命する。その後の軍政はペロンの影響力払拭(ふっしょく)に努め、弾圧を強めた。しかし彼の政治的復帰を求める声にこたえるため、亡命中に結婚したイサベル夫人を副大統領に伴って、1973年に18年ぶりに大統領に返り咲いたが、高齢と病のため翌1974年没した。

[乗 浩子]

『松下洋著『ペロニズム、権威主義と従属――ラテンアメリカの政治外交研究』(1987・有信堂高文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例