ペルブーヒン(読み)ぺるぶーひん(英語表記)Михаил Георгиевич Первухин/Mihail Georgievich Pervuhin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルブーヒン」の意味・わかりやすい解説

ペルブーヒン
ぺるぶーひん
Михаил Георгиевич Первухин/Mihail Georgievich Pervuhin
(1904―1978)

ソ連の政治家。ウラル生まれ。1919年共産党入党。1929年モスクワ国民経済大学卒業。若くして頭角を現し、主として経済関係で活躍。1939年発電所・電気工業人民委員、1940年および1950年に副首相、1952年党幹部会員、1955年第一副首相となる。1957年「反党グループ」事件(党第一書記フルシチョフの追放を策したモロトフ、マレンコフらが逆に「反党グループ」とされ、失脚)に連座し、第一副首相と党幹部会員の座を追われる。この点についてはのちに自己批判した。晩年には中型機械製作相、東ドイツ大使、ゴスプラン(国家計画委員会)参与会員などを歴任した。

[塩川伸明]

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367日誕生日大事典 「ペルブーヒン」の解説

ペルブーヒン

生年月日:1904年10月14日
ソ連の政治家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報