ペティ(読み)ぺてぃ(英語表記)Sir William Petty

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペティ」の意味・わかりやすい解説

ペティ
ぺてぃ
Sir William Petty
(1623―1687)

イギリスの経済学者。南イングランドの小都市ラムジーの織元の子として生まれる。14歳のころ水夫となってフランスに渡り、イエズス会のカレッジなどで各種の語学、航海術などを学んだ。いったん帰国して軍隊に入ったが、清教徒革命が勃発(ぼっぱつ)するや、オランダに遊学し、医学、数学を学び、さらにパリに移り、亡命中のホッブズ知遇を得て、著名な学者たちの集まる自然研究のサークルに参加。革命の終結後帰国、複写器を発明して著名となり、1651年オックスフォード大学の解剖学教授の地位を得た。しかしその直後に、クロムウェル政府からアイルランド派遣軍の軍医に任命され渡航、反乱軍から没収した土地測量やそれらの本国新教徒への配分に携わり、自らも大土地所有者となった。王政復古後、ナイトに列せられ、アイルランド関係のさまざまな官職につき、また王立協会の創設に参加し、同会会長になった。

 経済学者としては、国家主導による国富増進を唱えて、海運、植民政策、公信用を重視したことなどから、政策的立場は重商主義者とみなされるが、その理論や方法においては、近代的な経済学の始祖ともみなされる。すなわち、社会現象の分析にあたって、客観的な数量的諸関係に着目して、社会体の自然法則ともいうべきものを解明しようとして、そうした方法を自ら「政治算術」または「政治的解剖」と名づけ、近代統計学計量経済学財政学創設者と評価されるからである。また「労働は富の父であり、土地はその母である」という有名な一句で示された労働価値論を展開し、マルクスによって、イギリス古典派経済学の始祖とも評価されている。主著には『租税貢納論』(1662)、『政治算術』(1690)、『アイルランドの政治的解剖』(1691)などがある。

[千賀重義]

『松川七郎著『ウィリアム・ペティ』(増補版・1967・岩波書店)』『大内兵衛・松川七郎訳『租税貢納論』『政治算術』(岩波文庫)』『松川七郎訳『アイァランドの政治的解剖』(岩波文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ペティ」の意味・わかりやすい解説

ペティ
William Petty
生没年:1623-87

イギリスの経済学者,統計学者。はじめ船乗りであったが,1643年大陸に渡り医学と数学を学び,帰国後オックスフォード大学の解剖学の教授。52年,クロムウェルのアイルランド派遣軍の軍医として従軍,さらにアイルランドの没収地の測量〈ダウン・サーベー〉の仕事を行った。62年王立協会会員。主要著作は《租税貢納論》(1662),《政治算術》(1690),《アイルランドの政治的解剖》(1691)だが,特に《政治算術》において,〈数と量と尺度〉を用いる議論によってイギリスとフランスの国力比較を試みた。これによって彼は〈政治算術〉なる学問の創始者となったが,また国富の推定にあたって労働を価値の尺度と考え,余剰利得という概念をも提起したことから,マルクスによって〈経済学の最初の形態〉と呼ばれるにいたった。しかし,土地または自然にも価値を生む力があると考えていた点では,労働価値論としては不十分さを残している。友人のJ.グラントとともに〈近代統計学の父〉ともいわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペティ」の意味・わかりやすい解説

ペティ
Petty, Sir William

[生]1623.5.26. ハンプシャー,ラムジー
[没]1687.12.16. ロンドン
イギリスの経済学者,統計学者。市民革命勃発直後に大陸へ遊学して医学,数学を学び,1649年帰国後にオックスフォード大学解剖学教授。また O.クロムウェルのアイルランド派遣軍の軍医として渡航し,収奪地の測量,分配・人口センサスなどを行い,土地・人口問題に認識を深め,新植民地の経済開発に努力した。最初の主著『租税貢納論』A Treatise of Taxes & Contributions (1662) において,「労働は富の父であり,土地は富の母である」としてその関連を明らかにし,富の形成に対してもつ労働の能動的役割を指摘し,労働価値説を初めて展開した。そしてその後の『政治算術』 Political Arithmetick (90) ,『アイルランドの政治的解剖』 The Political Anatomy of Ireland (90) も労働価値説的見解を主張した。両著では経済社会の実体についての本質的認識とその諸現象についての数量的観察とは一体をなしており,「政治算術」と呼ばれる統計的比較・分析による実証的方法が用いられている。

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百科事典マイペディア 「ペティ」の意味・わかりやすい解説

ペティ

英国の経済学者,自然科学者。オックスフォード大学解剖学教授。労働価値説を創唱,地代が地主の収得する不払労働であることをみぬいた。また経済学に大量観察の実証的方法を適用して〈政治算術〉を創始,統計学の祖となった。主著《租税貢納論》《政治算術》。
→関連項目産業構造都市問題ペティの法則

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世界大百科事典(旧版)内のペティの言及

【軍事費】より

…このような負担は経済学の発生の時からその関心の対象にならざるを得なかった。W.ペティは,絶対王政最盛期のフランスの脅威におびえていた当時のイギリスの事情をふまえて,その主著《政治算術》(1690)で,国家の最大の危急存亡のとき,臣民がその支出の10分の1を支払うことは苦痛でも悲しむべきことでもない,といっている。ただし実際には当時フランスの租税は2割程度であったとみられる。…

【産業】より

… クラークは,経済の発展につれて,第1次産業の比重は労働力構成比でみても,所得構成比でみても長期的に低下する傾向を示しており,他方,第2次産業は所得構成比でみて上昇傾向,そして第3次産業は労働力構成比でみて上昇傾向を示すことを明らかにした。 クラークは17世紀にW.ペティが書いた《政治算術》の中の次の文章に注目し,彼の第1次産業の縮小,そして第2次・第3次産業の拡大を内容とする実証分析のビジョンはペティにまでさかのぼることができるとした。ペティは〈農業よりも製造業によるほうが,さらに製造業よりも商業によるほうが利得がはるかに多い〉と述べている。…

【重商主義】より

…この意図は,D.ヒュームやJ.タッカーを経てA.スミスにつながる経済思想であった。
【主要な理論家・思想家】
 重商主義期の主要な理論家・思想家としては,以上に挙げた人たちのほかに,イギリスでは,労働価値説を萌芽的に説き古典派経済学の最初の人と評価されているW.ペティ,私的所有権の根拠を労働に求めその見地に立脚してT.ホッブズからの前進を示し同時に貨幣・利子論の分野でも貢献したJ.ロック,ロックの貨幣・利子論の系譜に属する自由貿易論者J.バンダーリント,重商主義的性格を残しながらも特異な思想家として主著《蜂の寓話》(1714)を著したB.deマンデビル,古典派経済学の生誕を用意した関係にあるR.カンティヨン,J.ハリス,スミスの師F.ハチソン,さらに有効需要重視の観点から経済学の体系化を試み《経済学原理》(1767)によって〈最後の重商主義者〉と呼ばれることになったJ.スチュアートなどを挙げることができる。 イギリス以外の後進資本主義国だったフランス,ドイツ,アメリカなどは,イギリスの世界市場支配とその産業革命の進展に影響されつつ,その特殊な後進的社会構造を資本主義化したために,重商主義の語をこれらの国における歴史的体制概念として使用することは困難である。…

【政治算術】より

…ウィリアム・ペティによって1670年代に書かれ,90年に出版された本。小著ではあるが,その中でペティは〈数と量と尺度によって〉社会を対象とした議論を展開する方法を提案し,かつそれを当時のイギリスとフランスの国力の比較に関して実際に示している。…

【統計学】より

…いずれも17世紀にそれぞれイギリス,ドイツ,フランスで生まれたものである。統計そのものの作成は古く古代ローマあるいは古代中国にまでさかのぼることができるが,統計的な数字を用いて社会の客観的な認識が可能になることを説いたのがW.ペティであり,出生・死亡について法則性があることを実際に示したのがJ.グラントであった。彼らの方法は政治算術と呼ばれる。…

【都市問題】より

…都市問題がどのように把握されてきたか,近代経済の展開に沿ってみてみよう。
[都市問題把握の歴史]
 世界史上,近代経済発展の先駆をなしたのはイギリスであるが,そこで経済学の祖といわれたW.ペティが1682年に《ロンドン市の成長に関する政治算術》を著している。彼は,当時のロンドンの人口が67万で,それをイギリス経済の原動力であるとするが,今後の発展方向は拡大か縮小かと問い,二つの場合についてそれぞれ起こりうる都市問題を,防衛,治安,行政,貿易,産業活動,社会保障,悪疫といった項目に分け推定評価する。…

【ペティの法則】より

…さらに主として商業,サービス業から構成される第3次産業の比率の上昇もみられる。このような傾向をふつう〈ペティの法則〉と呼ぶ。もともとはW.ペティが《政治算術》の中で主張したことであって,〈農業よりも工業のほうが利益が大きく,さらに進んで商業のほうが利益が大きい〉という文章に基づいてクラークが名づけたものである。…

【労働価値説】より

… 労働価値説の歴史自体は決して短いものではない。17世紀のW.ペティはその《租税貢納論》(1662)において,穀物と銀の生産における剰余生産物の価値の比較から,部分的ではあるが素朴な形で労働が価値の積極的な要因であることを主張した。しかし体系的な形では18世紀後半のA.スミスがはじめてそれを論じたといってよいだろう。…

※「ペティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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