自然法則(読み)しぜんほうそく

精選版 日本国語大辞典 「自然法則」の意味・読み・例文・類語

しぜん‐ほうそく ‥ハフソク【自然法則】

〘名〙 二つ以上の自然出来事や性質の間で客観的に成立している恒常的で普遍的な関係を、経験的にいい表わしたもの。自然的法則。自然律。自然法。⇔規範法則
※竹沢先生と云ふ人(1924‐25)〈長与善郎〉竹沢先生の家「世界には唯自然法則なるものだけがあり、それが一切で、他の法則は存在せず」

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デジタル大辞泉 「自然法則」の意味・読み・例文・類語

しぜん‐ほうそく〔‐ハフソク〕【自然法則】

自然における出来事や存在などの諸事実の間で成立している一般的、必然的な関係を表した法則。自然律。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「自然法則」の意味・わかりやすい解説

自然法則
しぜんほうそく

私たちを取り巻く自然の諸現象の間の、また、同一の自然現象の諸側面の間の、本質的で普遍的で必然的な連関、および、これを表示する命題(法則命題)のこと。

[秋間 実]

三つの基本標識

自然法則が本質的であるというのは、それが自然現象の無限に複雑な諸連関のなかから、特別に計画された実験の助けを借りて、また論理的思考の抽象力を駆使して、純粋な形でみつけだされた、規定的で堅固で反復される依存関係である、ということである。この近づき方の典型は、たとえば、ガリレイによる「物体の自由落下」問題の取り扱いにみられる。一般に自然科学は、与えられた個々の現象のもっぱら表面的な観察や記述に埋没しているものではなく、そうした現象を分析し、これをそれとして成り立たせている諸事物の一般的・本質的諸規定を明らかにすることによって、諸基本概念を形成し、次に、この諸概念をいわば働かせる舞台として一つの理念的状態を設定し、これをもって現象の説明に立ち向かう、ということを通じて、その現象の本質を反映しようとする。こうして現実から取り出された本質的連関が法則であり、他の諸連関は、それに対しては偶然的な諸事情として現れるにすぎない。

 自然法則が普遍的であるというのは、それが多かれ少なかれ広い範囲の自然現象を規定している本質的連関である、ということである。たとえば、万有引力の法則は、地上のあらゆる物体の間、物体と地球との間だけでなく、天体の間においても存立する連関である。これを仲立ちとして、ニュートンは、地上の力学と天体力学との統一という偉業を成し遂げることができた。むろん、どの自然法則もこのように大きなスケール普遍性を誇示できるものではない。たとえば、オームの法則のように、ある限られた領域でだけ存立する、あまり普遍性のない法則もある。自然選択の法則は、いうまでもなく、無生物の世界では存立しない。しかし、どの自然法則も、一定の範囲の自然現象に共通に現れる本質的連関であるという意味では普遍性をもっている。

 自然法則が必然的であるということは、それが、ある現象の経過を一定の諸条件の下で、他ではありえないように、つまり、かならずそうなるように規定している本質的連関である、ということである。これは、典型的には、古典力学の運動法則が微分方程式で記述されるいわゆる微分法則であることに示されている。この3法則は、このことによって、外力が作用する条件の下で、ある瞬間における質点の運動状態が、無限に短い時間を置いて、これに続く運動状態を間違いなく引き起こさずにはいないことを、したがって、この質点の運動の全体が因果的に決定されていることを言い表しているのである。ここに、古典力学における決定論が確認される。たとえば、地表よりも上に持ち上げられた任意の物体は、これを支える力がなくなれば、かならず下へ落ちる。これが万有引力の作用によるとされることは、いうまでもない。自由落下の場合、落下距離、落下時間、加速度という諸量の間には、実験と思考実験とに基づいてガリレイが定式化した一定の連関がある。現実には空気抵抗があるので、落下の仕方は物体の形や大きさなどによって異なり、一様ではない。しかし、この過程の基礎にあるのは、自由落下の法則であり、これが落下の全過程を本質的にかつ必然的に規定している連関なのである。ところで、自然法則の必然性は、古典力学の諸法則についてだけ指摘できるものではない。たとえば、生物の自然選択という法則も必然性を示す。というのは、適応性の小さい生物がどうしても適応性の大きい生物にとってかわられずにはすまないからである。

 このような意味で、客観的自然における本質的・普遍的・必然的連関の存立を承認し、この諸連関を一括して「自然法則」と名づけているのである。

[秋間 実]

自然法則の重層性(階層性)

以上にも示唆されたように、もっとも典型的な自然法則は古典力学の諸法則である。しかし、自然現象は力学的運動形態に尽きるものではない。同じ物理学の範囲でも、物理現象イコール力学的現象ではない。このことを示す顕著な例として電磁気現象があり、さらに相対論、また量子力学および素粒子論の対象とする巨視的また微視的過程も古典力学の諸法則では律せられないものであるが、以上は物理学的運動形態として一括できよう。そして、これから始めて、順次に、まず化学的運動形態へ、ついで生物学的運動形態へと、概括の歩を進めていくことができる。その場合に重要なのは、両形態とも、それぞれ前段階を基礎とし前提とはしているが、これに還元されるものではなく、つまり、それよりも高次の運動形態である、ということである。すなわち、化学は物理法則に従っている諸粒子の集合を扱うが、その集まり方に物理学理論にとって偶然的なところがあるために、物理学の法則には還元できない化学独自の諸法則を定立することになる。また生物学的運動形態は、物理学的および化学的過程なしには存在できないとしても、その研究には特別な諸科学が必要とされる。というのも、生命タンパク質の独自な(化学にとっては偶然的な)存在様式であって、化学の法則には還元できない独自の諸法則で規定されているからである。

 自然法則の全体は、このように重層的(階層的)構造をもったもの、と把握しなければならない。

[秋間 実]

生産・労働と自然法則認識

人間は、生存の必要上、絶えず環境である自然に働きかけてこれを改変し、このことを通じて、人間からは独立した自然法則を発見してきた(むろん、これからもそうしていく)。すでに太古において、自然に規則正しさが備わっていることに気づいていた。これは、天体の運行の秩序正しさの発見から、というよりも労働対象としての自然物との限りなく繰り返されたつきあいのなかで、どの事物にもそれに固有の性質があり動き方がある(たとえば、固い青銅をつくりだすためには銅とスズを10対1の割合で混ぜなければならない)ことを悟ったためであった。自然は自分の法則については一歩も譲歩しない頑固者であるから、技術の過程で成功を収めようとすれば、人間のほうがそれにあわせなければならないということになる。天体の運行の秩序正しさという認識にしても、農業生産上の必要を離れて得られたものではなかったであろう。このように、物質的生産・労働のなかに自然の法則性についての観念の根があった、と要約していうことができる。そしてこの根から、近世ヨーロッパにおける資本主義の勃興(ぼっこう)という社会的大変革過程の一要素として、自然科学という木が生まれ育ち、これはしだいに自然法則の認識という果実をつけていくようになったのである。人間がその後この成果を深化させ拡張することによって自然をますますうまく統御して、自らの利益に役だてることができるようになったことは、改めていうまでもない。

[秋間 実]

「自然法則」という表現のおこり

機械学から力学への発展が目ざされていた近世初頭の時期に、内容的には自然物のふるまいの力学的な規則正しさにほかならないものを、ガリレイがまだ「比例」「比」「原理」と名づけていたのに対して、デカルトが初めて「自然法則」という語でそれを言い表したことは注目に値する。それまでは、神が人間に課した律法や、国王が人民に公布した法律などをさす語であったloiを、彼は、法則という意味で用いたのであった。そこには、力学的諸法則の普遍性と必然性とを神の権威と国王の強力とを想起させることによって裏打ちしようという意図が込められていたのである。

[秋間 実]

『E・ツィルゼル著、青木靖三訳『科学と社会』(1967・みすず書房)』『秋間実著『現代科学と唯物論』(1971・新日本出版社)』『秋間実著『科学論の世界』(1974・大月書店)』

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