ブルキナファソ(英語表記)Burkina Faso

翻訳|Burkina Faso

デジタル大辞泉 「ブルキナファソ」の意味・読み・例文・類語

ブルキナ‐ファソ(Bourkina Fasso)

《清廉潔白な人の国の意》アフリカ西部の国。ボルタ川上流にある内陸国。首都ワガドゥーグー。1960年、オートボルタ共和国としてフランスから独立。1984年に改称。綿花や畜産品を産出。人口2151万(2021)。

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精選版 日本国語大辞典 「ブルキナファソ」の意味・読み・例文・類語

ブルキナ‐ファソ

(Bourkina Fasso) アフリカ西部、ボルタ川の上流域にある国。一一~一二世紀にモシ族の部族国家が成立。一九世紀末にフランスの植民地となる。一九六〇年、オートボルタ共和国として独立。八四年改称。綿花・畜産物を産する。首都ワガドゥーグー。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルキナファソ」の意味・わかりやすい解説

ブルキナファソ
Burkina Fasso

基本情報
正式名称=ブルキナファソBurkina Fasso 
面積=27万2967km2 
人口(2010)=1573万人 
首都=ワガドゥグOuagadougou(日本との時差=-9時間) 
主要言語=フランス語,モシ語 
通貨=CFA(中央アフリカ金融共同体)フランFranc de la Communauté Financière Africaine

西アフリカの内陸にある共和国。旧称はオートボルタ。1983年8月の軍事クーデタで政権を獲得したサンカラThomas Sankara(1947-87)が,84年8月に国名をブルキナファソ(〈高潔な共同社会〉の意)と改めた。

国土は,長い乾季(9~4月)と短い雨季(5~8月)のある,まばらに木の生えた熱帯草原サバンナに位置する。コートジボアールに接する南西部は降水量も多く(年間約1300mm),オウギヤシが自生し,イネ(オリザ・グラベリマ種,オリザ・サティバ種),ヤムイモも多く栽培されている。マリ,ニジェールに接する北東部では降水量は少なく(年間約500mm),とげのあるマメ科の灌木が生えた半砂漠性の草原で,農作物もトウジンビエが主である。中央部は,バオバブ,タマリンド(マメ科),パルキア(マメ科),カリテ(シーアバターノキ。アカテツ科)など住民の食生活にとっても重要な高木が多く野生する草原で,農作物はトウジンビエやモロコシヤッコササゲが混作されている。

 標高約300mの中央台地,南西部の700mを超す山地,隣接するガーナの台地に約100mの断崖で限られている南部の台地のほかは,土地の起伏は乏しい。黒ボルタ,赤ボルタ,白ボルタという3本のボルタ川の上流のほかは,水流や沼も少ない。気温は平均して27~28°Cであるが,とくに北部では季節,昼夜による温度差が激しく,乾季の夜は10°C近くまで下がる一方,雨季直前の日中には,日陰で40°Cを超すことも多い。地質はきわめて古い先カンブリア時代に属し,地表は熱帯アフリカの他の地方と同様,農耕には不向きなラテライト(紅土)に覆われている。人口の都市集中に伴う都市住民の燃料用の野生樹の濫伐と,ヤギ,羊など小家畜の放牧による灌木の食い荒らしから土地の保水力が低下し,降雨の不順によって凶作がひきおこされることが多い。

 鉱物資源としては,1966年まで細々と採鉱を続けていたプラーの金鉱山がいったん閉山した後,80年から再開されたほか,北東部のタンバオマンガン鉱床(埋蔵量1200万t,含有率55%)が,採鉱・運搬の基礎施設の欠如のため未開発のまま残されている。国産の綿花をおもな原料とする紡織工業,食品加工や自転車組立てなどの軽工業が若干あるほか,めぼしい工業はない。

 野生動物の減少が著しく,南部のポー,東部のアルリーを中心に,象,ライオン,野牛などの保護地区が設けられている。

ブルキナファソの住民は,ボルタ語族に属する言語をもつモシ族(約300万人),ロビ族およびダガリ族(約44万人),ボボ族(約42万人),グルンシ諸族(約33万人),グルマンチェ族(約28万人)等が過半数を占め,次いで西アトランティック語族に属する言語をもつフルベ族(約66万人),マンデ語族に属する言語をもつサモ族(約14万人),ビサ族(約13万人)から成る。とくに西部地方は小部族集団に分かれており,部族の単位のとり方にもよるが,ブルキナファソ全体で60以上の部族集団があるとみられる。住民の大部分は焼畑農耕に従事し,ロバ,犬,羊,ヤギ,鶏,ホロホロチョウなど若干の小家畜,家禽も飼育している。セネガルからチャド湖周辺地方まで,西アフリカのサバンナ地帯の広い地域で牛の牧畜を行っているフルベ族も,ブルキナファソに多数居住しているが,定住して農耕を行ったり,農耕民と混血している者も多い。また,北に隣接するマリ起源で,もとマンデ系の言語をもっていたが,モシ族が形づくっていた王国に浸透してモシ語を話すようになったヤルシ族は,大部分イスラム教徒で,木綿の機織,長距離交易を行うことに特徴をもった集団である。植民地化以前の社会組織の面では,モシ族,グルマンチェ族のように,最高首長である王から地方首長,村落の首長まで序列化された集権的な社会があった一方で,ロビ族,ダガリ族に代表されるような,血縁集団や家族が社会の単位として最も重要な非集権的な社会もある。

 住民の人口構成で注目すべきことは,人口密度(平均29.6人/km2)の地方差が大きいこと(中央部のモシ族,カセナ族の居住地では80人/km2の密度をもつ一方で,北部のフルベ族や東部のグルマンチェ族の地方では10人/km2にも達しない),常住人口以外の約150万人が出稼ぎのため国外に一時または長期に移住していることであろう。出稼ぎ先は南のコートジボアールが80%を占めるが,ブルキナファソの生活条件の厳しさ,コートジボアールの首都アビジャンなど大都会の生活への憧れが基となっているとみられる。国内でも,とくに青年層の農村離脱,都市への知人縁者をたよっての半失業状態での流入の増大は社会問題として深刻化している。

 西アフリカの内陸国としてはイスラム教徒が少なく,住民の約30%といわれるが(1970年代),その大部分は北部地方で,そのほかでは10%にも達しない地方も多い。キリスト教徒は約10%,そのうちプロテスタントは約1%といわれている。これら名目上の信徒も,同時に在来の信仰(部族により異なるが,多くは,万物の力の根源である不可視の神を信じ,祖霊や精霊を神と人間の媒介者としてこれに儀礼を通じて働きかける形をとる)をもちつづけていることが多い。ボボ族,セヌフォ族,ロビ族,グルンシ諸族の一部で,仮面や呪物などの木彫が多く作られているが,隣接するマリやコートジボアールにくらべて一般に造形表象は乏しい。他方,モシ族,グルマンチェ族などの大型の球形のヒョウタンに皮を張った太鼓,グルンシ諸族,ロビ族などの小型の木の笛はじめ,楽器音によるメッセージの伝達が盛んである。

考古学的遺物はきわめて乏しい。19世紀末のフランスによる植民地化以前は文字記録がないため,過去の探求は主として口頭伝承によらざるをえない。部族の移動・形成・変遷史は,最近部族集団ごとに復元の試みがなされているが,全貌が明らかになるにはほど遠い状態にある。一般的にいって,集権化されていない社会組織をもち,軍事的にも弱小な農耕民(セヌフォ族,ロビ族,ニョニョンシ族など)が古くから居住し,おそらく14~15世紀に南部(現在のガーナ北部)から騎馬の戦士集団に先導された住民の移動があって,中部のニョニョンシ族などを併合して一連の集権的なモシ王国が形成されたと考えられる。モシの王朝は枝分れして南部・中部・北部の三つの主要な王朝の支配が成立し,それぞれの王朝の分裂・移動・分枝の独立などによって大小さまざまな王国が興亡をくりかえした。

 1887-89年,フランスの軍人バンジェLouis Gustave Bingerがニジェール川からギニア湾にいたる探検の途中,オートボルタ各地を訪ね,その後95-96年にブーレPaul Voulet中尉の率いるフランス軍がオートボルタに侵入し,モシの王を屈服させて保護領の協定を結んだ。その後1901年にロビ族が征服され,現在の地域は04年にフランス領オー・セネガル・ニジェール植民地の一部に編入されたが,19年,オートボルタ植民地としてまとめられた。オートボルタは,宗主国フランスが収奪すべき資源や産物に乏しかったが,頑強で勤勉な住民は人的資源として評価され,隣接地域の開発の便をはかるために,32年にはコートジボアール,フランス領スーダン(現,マリ共和国),ニジェールの隣接3植民地に分割帰属させられ,47年にオートボルタとして再構成された。58年フランス共同体内の自治共和国となり,60年8月独立した。

初代大統領モーリス・ヤメオゴMaurice Yameogoは,放漫財政と個人的ぜいたくがもとで国民の不満を買って66年クーデタにより失脚し,サングーレ・ラミザナSangoulé Lamizana中佐指揮下の軍隊が4年間国政を担当した。70年複数政党が候補を出す総選挙によって民政に移行し,ラミザナ将軍は国民投票で大統領に選ばれたが,政府内部や政府と国会の対立が激化したため,74年国会を解散,憲法を停止する非常措置をとった。77年国民投票で新憲法が採択され,翌78年大統領(ラミザナ)と複数政党の国会議員が選出され,国政は再び民政に移された。しかし,相変わらずの経済的停滞に対する社会の不満と軍内部の対立とから,80年セイ・ゼルボSaye Zerbo大佐が指揮するクーデタが起こり,ラミザナ大統領は監禁され,憲法は停止,国会と政党は解散させられた。しかし政権は安定せず,82年J.B.ウェドラオゴが軍事クーデタを起こしたものの,83年再び軍内部のクーデタでT.サンカラが新政権を樹立し,84年国名をブルキナファソと改めた。
執筆者: サンカラは,外貨節約,食糧の国内自給,産業の活性化を目的とした急進的改革を実行した。しかし一連の緊縮政策にもかかわらず経済状態はいっこうに好転せず,住民の不満が増大,一方で内部の反発もつのった。87年10月,サンカラの第一の腹心とみなされていたコンパオレBlaise Compaoré(1951- )による軍事クーデタが勃発,大統領は射殺され,コンパオレ政権が成立した。コンパオレ政権はサンカラ政権の急進主義を修正して現実路線を取り,91年6月には複数政党制や大統領制を柱とする新憲法案が国民投票で採択された。同年12月の大統領選は野党がボイコットし低投票率となったが,コンパオレが当選。92年5月には複数政党制で初の総選挙が実施され,与党・人民民主主義機構・労働運動(ODP・MT)が圧勝した。その後何度かの首相交代,内閣改造を経て,政情は安定している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルキナファソ」の意味・わかりやすい解説

ブルキナファソ
Burkina Faso

正式名称 ブルキナファソ。
面積 27万764km2
人口 2148万8000(2021推計)。
首都 ワガドゥグー

アフリカ大陸西部の内陸国で,北と西はマリ,東はニジェール,南はベナン,トーゴ,ガーナ,コートジボアールと接する。旧称オートボルタ共和国。国土の大部分は平均標高約 300mの台地で,北部は草地を含む半砂漠地帯,南部に行くに従い森林を含む熱帯サバナとなる。2月中旬~6月が夏季で,最高気温 40℃。 11月中旬~2月中旬が冬季で,最低気温 10℃。雨季は6~9月。降水量は南部に多い。新石器時代の人類の居住跡があるが,1050年頃モシ諸族が中部にモシ王国,14世紀に南部から侵入してきた征服者が東部にグルマ王国を建設。 19世紀末フランスの進出により,1895~98年諸王国が保護領化し,フランス領スーダンの一部となったが,1919年オートボルタ植民地として分離。 1947年再びフランス領西アフリカの一部,1958年フランス共同体内の自治国となり,1960年オートボルタ共和国として独立。 1984年8月,国名をブルキナファソ (「清廉潔白な人の国」の意) と改称した。農業と牧畜を主とし,ラッカセイ,綿花などを輸出するが,干魃もあって食糧自給は達成されていない。工業は農産物加工業が主。銅,ボーキサイト,マンガンなどの地下資源があるがほとんど未開発。国外への出稼ぎ者が多い。住民は約 160の諸族からなるが,大きくはモシ諸族,グルンシ族,ボボ族などのボルタ諸族とサモ族などのマンデ諸族に分かれる。公用語はフランス語であるが,モシ語をはじめ部族語も広く用いられる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブルキナファソ」の解説

ブルキナファソ
Burkina Faso

西アフリカの内陸国。15世紀中頃からモシ人の王国が分裂,興亡を繰り返した。ほかにロビ,ボボ,グルンシ,フルベなどの民族が住む。19世紀末フランス保護領,1960年,オートヴォルタという国名で独立。83年,サンカラが軍事クーデタを起こし,翌年,現国名に変更。

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