ブライアン ウィルソン(英語表記)Brian Wilson

現代外国人名録2016 「ブライアン ウィルソン」の解説

ブライアン ウィルソン
Brian Wilson

職業・肩書
ミュージシャン

国籍
米国

生年月日
1942年6月20日

出生地
カリフォルニア州ホーソーン

本名
ウィルソン,ブライアン・ダグラス

グループ名
グループ名=ビーチ・ボーイズ〈Beach Boys〉

受賞
アメリカン・ミュージック賞特別名誉賞〔1988年〕,グラミー賞生涯功績賞〔2001年〕,グラミー賞〔2004年〕「SMiLE/スマイル」,ケネディ・センター栄誉賞〔2007年〕

経歴
高校時代から弟のデニスカールとともにバンドを組み、音楽活動を始める。1961年弟たちやいとこのマイク・ラブ、高校時代の友人アル・ジャーディンとともにビーチ・ボーイズを結成し、’62年アルバム「サーフィン・サファリ」でデビュー。以来、「サーフィンU.S.A.」「サーファー・ガール」「イン・マイ・ルーム」「サマー・デイズ」など次々にヒットを飛ばし、デビュー以来2年間で8枚のアルバムをリリース。美しいハーモニーと、ビート感を融合させた音楽スタイルは、サーフィン・ミュージックの先駆けとなり、その後のウエスト・コースト・サウンドに影響を与えた。また3枚目のアルバム「サーファー・ガール」(’63年)以降は自身でプロデュースを担当、当時としては珍しいセルフ・プロデュースを成功させる。レコーディングとツアーを繰り返す過密スケジュールの中、’64年神経衰弱に陥り、以後コンサートツアーは他のメンバーに任せ、スタジオでのレコーディング作業に専念し、独創的な音作りに没頭。’66年にはロック史上の傑作とされるコンセプトアルバム「ペット・サウンズ」を発表し全英2位のヒットとなるが、それまでの作品とは異なる難解な作風から米国でのセールスは低迷し、レコード会社からも敬遠される結果となった。その後、次作「スマイル」を準備中に重度ノイローゼとなり、麻薬アルコールに溺れ、同作の製作中止、自らの音楽活動も中断。’76年、11年ぶりにステージに復帰。’86年グループ結成25周年記念アルバム「メイド・イン・USA」をリリース。’88年にはシングル「ココモ」が全米1位の大ヒットとなり、ソロアルバム「ブライアン・ウィルソン」を発表して完全復活を果たす。同年ロックの殿堂入り。以後はソロを主体に積極的な音楽活動を続け、’98年アルバム「イマジネーション」をリリース。この間、’83年デニスが溺死、’98年にカールが病死。’99年以降は自らのバンドを率いて、2000年からワールドツアーも敢行。2002年にはエリザベス女王在位50周年記念コンサートに米国代表として出演した。2004年幻の作品「SMiLE/スマイル」をバン・ダイク・パークスらとともに完成させ、全世界でヒットさせた。1979年バンド公演、’99年ソロ公演で来日。2006年ごろから再び現在の5人で活動し、2012年にはデビュー50周年を迎え、33年ぶりに来日公演を行う。他のソロ作品に「駄目な僕」「ペット・サウンズ・ライブ」「ラッキー・オールド・サン」「ノー・ピア・プレッシャー」などがある。2015年ブライアン・ウィルソンを描いた映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディ」が公開された。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報