改訂新版 世界大百科事典 「フォイエルバハ」の意味・わかりやすい解説
フォイエルバハ
Ludwig Andreas Feuerbach
生没年:1804-72
ドイツのヘーゲル左派を代表する哲学者。人間学の観点から,ヘーゲルの神学を批判した。有名な刑法学者P.J.A.vonフォイエルバハを父として,学者一家に生まれ,ベルリン大学でヘーゲルに学んで深く傾倒した後,エルランゲン大学私講師となったが,キリスト教批判の論文《死および不死についての考察》(1830)を発表したために職を失い,以後,市井にあって論述を続けた。
主著《キリスト教の本質》(1841)では,人間は個人としては有限,不完全,非力であるが,〈類的本質〉である理性・意志・愛においては無限であると説いた。〈神〉として疎外され崇拝されてきたものは,人間の〈類的本質〉にほかならない。〈神学の秘密は人間学である〉。人間が〈類〉としては不死であるというヘーゲルの〈自然哲学〉の概念を拠り所にして,ヘーゲルの〈精神〉概念を批判するフォイエルバハは,身体をそなえ,感覚を持つ自然的人間の学を樹立する。ヘーゲル批判の論点それ自体がヘーゲルの概念に依存している点に,ヘーゲル学派としての特色を示す。この立場は,マルクス,エンゲルスをはじめ同時代人に強い影響を与え,宗教批判の方法を政治批判にまで徹底するという形で,彼らの思想的出発点を形づくった。また,同時代の別の流派には,フォイエルバハの愛の思想にもとづいて博愛主義的な社会主義の立場をとる者(T.H. グリーン)があり,マルクス,エンゲルスとの間に論争が生じた。フォイエルバハの思想はしかし,時代を超えてブーバーの《我と汝》に影響を与えて,そこから近代的自我概念を超えて人間を本来的に対話的存在とみなす,ハーバーマス,トイニッセン等の〈対話主義〉の立場を生み出している。ブーバーがユダヤ教の宗教性を背景としていたのに対して,現代の対話主義は,自然的人間学というフォイエルバハの立場を復権させる。
→ヘーゲル学派
執筆者:加藤 尚武
フォイエルバハ
Paul Johann Anselm von Feuerbach
生没年:1775-1833
ドイツの刑法学者。近代刑法学の父といわれる。イェーナ近郊で生まれた。イェーナ大学でカント哲学の研究を始めた後,法学に転じた。イェーナ大学,キール大学,ランツフート大学の教授を歴任し,辞任後バイエルン王国司法省に入り,〈バイエルン刑法典〉(1813)の起草にあたった。その後バンベルク控訴院次長,さらにアンスバハ控訴院長を務めた。彼の刑法理論の根幹をなすのは〈心理強制説〉である。すなわち,人は犯罪からえられる快楽とそれに対して科される刑罰という苦痛とを比較し,苦痛が快楽より大きいときは犯罪を行わないように心理的に強制されるであろう。そのためにも,犯罪と刑罰を刑法典に規定し,国民にあらかじめ知らせておくべきであるという。そこで,彼は刑法の最高原則として〈法律なければ犯罪なし〉〈法律なければ刑罰なし〉という罪刑法定主義を主張した。彼はこの原則に従って,法と倫理を区別し,客観主義的刑法理論を打ち立てた。その学説は後世の刑法学に大きな影響を与えた。彼はまた拷問の禁止,裁判制度の近代化にも努めた。
彼の家系は優れた学者や芸術家を輩出している。長男アンゼルムは考古学者,三男カールは数学者,四男エドゥアルトは法制史家,五男ルートウィヒは哲学者,六男フリードリヒは東洋語学者として著名である。ドイツ古典派の画家アンゼルムは長男の子で,彼の孫にあたる。
執筆者:堀内 捷三
フォイエルバハ
Anselm Feuerbach
生没年:1829-80
ドイツの画家。シュパイヤー生れ。考古学者を父とし古典的教育を受けるが画家を志し,ドイツのほか,オランダ,フランス,イタリアで勉学,ルーベンス,クールベ,ベネチア派の影響を受ける。1855年からおもにイタリアで活動,A.ベックリンとも交わる。古典的世界にあこがれ古代,ルネサンスの大芸術を継がんと志すが,英雄的世界を,肖像を描くように写実的にかつ審美的距離を置いて描き出そうとしたため理想の実現までには至りきれず,舞台写真めいた結果を招く。反対にそうした葛藤のない肖像画においては,翳(かげ)りを帯びた重々しい肉体を独特の色調と重量感で描き,成功を収めた。哲学者フォイエルバハは叔父。
執筆者:大原 まゆみ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報