ファシズム大評議会(読み)ふぁしずむだいひょうぎかい

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファシズム大評議会」の解説

ファシズム大評議会(ファシズムだいひょうぎかい)
Gran Consiglio del Fascismo

1922年末,ムッソリーニ首相に就任するとすぐに政府首脳と国民ファシスタ党幹部で構成するファシズム大評議会を設置し,重要事項を審議した。28年にファシズムの最高機関として,正式な国家機関となり,首相および党,議会,軍隊組合の代表者から構成された。党に関する問題,すなわち議員候補者名簿,党規約,綱領の作成などの決定権を持ったが,内政,外交を含めて国政一般に関する問題には,審議権だけが与えられた。他に首相候補名簿を国王に提出する権限を持ち,この権限にもとづいて43年7月ムッソリーニの罷免を決議した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のファシズム大評議会の言及

【ファシズム】より

…1925‐26年の諸立法により,きわめて中央集権的な国家体制が建設されたが,これの中心的な推進者は法相のロッコと内相のL.フェデルツォーニで,2人ともナショナリスト協会のメンバーであった(同協会は1923年にファシスト党と合同した)。制度上でのファシズム体制は28年12月制定のファシズム大評議会Gran Consiglio del fascismoに関する法律によってほぼ仕上げられる。大評議会は22年12月に党の最高機関として設置されていたものだが,今回それを国家の最高機関として法制化し,政府,国会,党にまたがる広範な権限が付与された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」