百科事典マイペディア の解説
ビットリオ・エマヌエレ[2世]【ビットリオエマヌエレ】
→関連項目ガリバルディ
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… 1796年から1814年までのフランスによるピエモンテ支配は,封建的遺制のほぼ完全な廃止など,社会的・経済的発展の基礎をつくった。国王ビットリオ・エマヌエレ1世(在位1802‐21)とその後のカルロ・フェリーチェ(在位1821‐31)は復古体制下で猛烈な反動政策をとるが,ピエモンテの近代化は徐々に進む。その後を襲ったカルロ・アルベルト(在位1831‐49)は経済的自由化を推進し,彼の下でサルデーニャ王国は1848‐49年のオーストリアとのイタリア解放戦争を戦い,敗北する。…
※「ビットリオ・エマヌエレ[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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