ニチロ(読み)にちろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニチロ」の意味・わかりやすい解説

ニチロ
にちろ

食品会社の旧名称。1906年(明治39)設立堤商会が前身で、北洋での漁獲と缶詰生産を行っていた。1921年(大正10)3社合併により日魯漁業株式会社が発足し、第二次世界大戦前は北洋全域でサケ・マス・カニ漁業を展開し、多数の缶詰工場を操業した。第二次世界大戦後、樺太(からふと)(サハリン)・千島(ちしま)・カムチャツカ漁場を喪失し、北海道沿岸のサケ・カニ漁業、下関(しものせき)を基地とするトロール底引網漁業遠洋カツオ・マグロ漁業などに転じた。1952年(昭和27)講和条約発効により北洋漁業が再開され、母船式サケ・マス漁業を復活したが、56年のソ連ブルガーニン・ラインの設定により日ソ漁業交渉が開始され、北洋漁業の規制強化による船団の逐次削減で、北洋漁業依存からの脱皮を迫られ、食品加工部門への進出を開始した。1977年に200海里漁業水域が各国で制定されたのに伴い、漁労部門を順次撤退、漁労にかわる事業として水産品貿易部門とあけぼの印の缶詰・冷凍食品・畜産品などの加工食品事業を展開。漁業比率が5%を切ったのを機に、1990年(平成2)日魯漁業をニチロと社名変更した。2007年10月、マルハ子会社にもつ持株会社マルハグループ本社経営統合、マルハグループ本社がマルハニチロホールディングス商号変更、ニチロはマルハとともに、その子会社となる。その後2008年4月、マルハニチロホールディングスは主要な事業会社を「マルハニチロ水産」「マルハニチロ食品」「マルハニチロ畜産」「マルハニチロ物流」に再編した。経営統合前のニチロの資本金122億円(2007)、売上高2517億円(2007。連結ベース)。

[中村青志]

『ニチロ編・刊『日魯漁業経営史』第2巻(1995)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ニチロ」の意味・わかりやすい解説

ニチロ[株]

水産業界の上位クラスの会社。1906年堤清六,平塚常次郎により,北洋のサケ・マス漁を目的とする堤商会として新潟県三条町(現,三条市)に設立された。翌年カムチャツカ沿岸のサケ・マス漁業を開始した。10年からはイギリスへのサケ・マス缶詰輸出を中心に成長を遂げた。13年,カムチャツカ半島に近代的な缶詰工場を建設。19年には堤商会を改組し極東漁業(株)を設立,20年に同社は缶詰製造の輸出食品(1912設立)と合併して輸出食品(株)となる。さらに21年,旧日魯漁業(田村市郎が1914年設立),堪察加(カムサツカ)漁業と合併して北洋漁業を中心とする大漁業会社となり,社名を日魯漁業(株)(本社東京)とした。32年にはロシア領内の中小漁業者を吸収し,35年には公海上の母船式サケ・マス漁業も日魯漁業系の太平洋漁業(1931設立)にほぼ一本化した。

 敗戦によりソ連領,千島,樺太,カムチャツカにあった施設を失ったため,同社は北海道沿岸漁業,遠洋トロール漁,遠洋カツオ・マグロ漁に活路を求めるとともに,52年に北洋漁業が再開されると,再び同地域での漁業の主導権を回復した。60年代に入ると,北洋漁業への制限強化から魚肉ハム・ソーセージの生産,冷蔵庫建設などの陸上部門の強化に力を注いだ。またアフリカ,アラビアなどの遠洋にも進出するとともに,開発輸入にも努めている。90年(株)ニチロと改称。資本金122億円(2005年9月),売上高2469億円(2005年3月期)。なお2007年マルハと経営統合し,持株会社マルハニチロホールディングスを設立。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニチロ」の意味・わかりやすい解説

ニチロ

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