ダルエスサラーム(英語表記)Dar es-Salaam

精選版 日本国語大辞典 「ダルエスサラーム」の意味・読み・例文・類語

ダルエスサラーム

(Dar es Salaam) アフリカ東部、タンザニア連合共和国首都インド洋に面する港湾都市で、一八六二年ザンジバル王国サルタン建設。八四年ドイツに占領され、九一年ドイツ領東アフリカの、第一次世界大戦後はイギリスタンガニーカ委任統治領の主要都市として発展した。

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デジタル大辞泉 「ダルエスサラーム」の意味・読み・例文・類語

ダル‐エス‐サラーム(Dar es Salaam)

タンザニア連合共和国事実上の首都。インド洋に面する港湾都市で、コーヒーサイザル麻綿花などを輸出。1973年にドドマが新首都に指定され、段階的な移転が計画されているが、現在も首都機能の大部分を担う。人口、行政区296万(2008)。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダル・エス・サラーム
Dar es Salaam

東アフリカ,タンザニア連合共和国の首都。人口234万(2002)。この名称はアラビア語で〈平和の家〉を意味するが,このことは古くからイスラムの影響をうけ,インド洋岸の港として栄えたことを反映している。ここを起点とする鉄道はタンガニーカ湖畔,ビクトリア湖畔,およびザンビアの銅山地帯に達し,それら内陸の生産物の輸出と内陸向け輸入品の積卸しで,港湾活動が盛んである。商工業の中心であり,国立大学,博物館,植物園,総合病院なども整っている。また南アフリカ共和国アパルトヘイトに反対し,アフリカ人の独立運動を支援する政治活動の基地になり,アフリカ統一機構(OAU)の解放委員会も置かれていた。1860年代にザンジバルアラブの首長が夏の離宮を建設し,小さな港町となったが,84年ドイツに占領され,91年にはドイツ領東アフリカの主都がバガモヨから移された。第1次世界大戦に際してドイツ人は港の入口に浮きドックを沈めて自ら封鎖した。この港湾都市が発展したのは第2次世界大戦中からで,1940年代に南部・中部アフリカ開発の拠点として港湾,交通施設の整備が始まり,56年に港湾施設近代化が完了した。最近はザンビアに通じるタンザン鉄道が建設されたため,港湾の拡張が必要となっている。61年に独立したタンガニーカの首都,64年ザンジバルを合わせて首都となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダルエスサラーム
Dar es-Salaam

タンザニアの首都。同国東部,インド洋に臨む港湾都市で,ダルエスサラーム州 (面積 1393km2) の州都。高温多湿。 1862年ザンジバル島のスルタンが築港,ダルエスサラーム (「平和の港」の意) と命名。 1885年ドイツ東アフリカ会社が内陸との貿易拠点として支配下に置き,1891年ドイツ領東アフリカの首都。 1916年イギリスが占領。 1962~64年タンガニーカ共和国の首都。 1964年のタンザニア独立に伴い同国の首都。 1974年ドドマへの遷都が決定され,首都機能をドドマに移行中。同国第1の輸出港で,鉱産物やタバコ,コーヒー,皮革,サイザルアサ,綿花,カシューナッツなどを輸出。海運の 80%を扱う。内陸へ通じる鉄道およびザンビアと結ぶタンザン鉄道の起点。商工業中心地でもあり,食品加工,石鹸,たばこ,ガラス製品などの工業が立地。銀行,ホテルなど近代的建物が多く,町はずれにはヨーロッパ人,インド=パキスタン人の高級住宅街がある。ヤシ林の美しい町として有名で,ザンジバル王国の遺跡,ローマ・カトリック聖堂,ルター派聖堂などが残る。ダルエスサラーム大学,植物園,国際空港がある。都市部人口 280万5500(2006)。

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