日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ジラール(Prudence-Seraphin-Barthélemy Girard)
じらーる
Prudence-Seraphin-Barthélemy Girard
(1821―1867)
日本再宣教後、初のフランス人カトリック司祭。1847年パリ外国宣教会に入り、1848年に香港(ホンコン)に派遣された。1855年琉球(りゅうきゅう)国(沖縄県)那覇に赴き、日本語を勉強しながら入国の機会をうかがっていた。1857年から1866年まで日本代牧区の教区長代理を務めた。1859年(安政6)フランス領事館付き司祭兼通訳として横浜に上陸。1862年(文久2)横浜に日本最初の天主堂を建設した。天主堂には大ぜいの人々が押しかけてきたので、幕府は不意に同心を遣わして参観者55人を捕らえ、ジラールにいっさいの説教を禁じた。1867年(慶応3)横浜で死去。
[宮崎賢太郎 2018年2月16日]
『浦川和三郎著『切支丹の復活 前編』(1927・日本カトリック刊行会)』