日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ジェームズ(Elmore James)
じぇーむず
Elmore James
(1918―1963)
アメリカのブルース・ギタリスト、ボーカリスト。ブルースのギター奏法のなかでもっとも特徴的なサウンドをもち、つねに人気の高いスライド・ギターの名手であり、壮絶なボーカルのパワーもあり、南部からシカゴのブルース・シーンで活躍した。
ミシシッピ州ホームズ郡リッチランドに生まれる。プランテーションを転々とする生活を強いられたが、1936年にミシシッピ・デルタの町ベルゾナに住んだ時、音楽の基本を授かることになるロバート・ジョンソン、そしてサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡSonny Boy Williamson Ⅱ(1899―1965)らと知り合い、当時最高レベルのサザン・ブルース(南部で歌われ、好まれた土臭いブルース・スタイルの総称)に浸る。
1940年ごろには、当時ジャズ/ブルースの世界にも押し寄せてきていた楽器の電気化を試みるようになり、ジョンソンが果たせなかった、エレクトリック・ブルース・ギターの展開に踏み込む。第二次世界大戦時には海軍に応召、帰国後ミシシッピ州カントンのラジオ修理屋で働きながらラジオ局への出演を経験して知名度を上げていった。1951年にジャクソンで「ダスト・マイ・ブルーム」をウィリアムソンのバックを得て録音、これがリズム・アンド・ブルース・チャートのトップ10に入るほどの大ヒットとなる。翌1952年からロサンゼルスのモダン・レーベルに継続的にレコーディング、「プリーズ・ファインド・マイ・ベイビー」「ハンド・イン・ハンド」(いずれも1952、『ザ・クラシック・アーリー・レコーディングス1951―1956』The Classic Early Recordings 1951-1956収録)に聞かれるスライド奏法はすさまじいほどの迫力をもっていた。シカゴでの活動が増えるとともに、J・T・ブラウンJ. T. Brown(1918―1969、テナー・サックス)やジョニー・ジョーンズLittle Johnny Jones(1924―1964、ピアノ)を含んだバンド、ブルームダスターズのアンサンブルもまとまりをみせていく。
1950年代後半以降はシカゴのレーベル、チーフやチェスにもレコーディングし、若手のブルースマンの台頭に刺激されるように重みのあるスロー・ブルースにも新境地を開拓し、「イット・ハーツ・ミー・トゥー」(1957)、「ザ・サン・イズ・シャイニング」(1960)といった曲を世に送り出した。
晩年はニューヨークの黒人プロデューサー、ボビー・ロビンソンBobby Robinson(1917―2011)のファイアー・レーベルに1959~1961年にレコーディングした「ザ・スカイ・イズ・クライング」「シェイク・ユア・マニーメイカー」「サムシング・インサイド・オブ・ミー」(『ザ・スカイ・イズ・クライング クラシック・ブルース・コレクテッド』The Sky is Crying; Classic Blues Collected(2001)収録)等、傑作は枚挙にいとまがない。
若いころから心臓を患っていたが、1963年帰らぬ人となった。当時、非黒人の間でのブルースに対する関心はまだジェームズにまで到達しておらず、45歳という若さで、しばしば歌ってきたように「マイ・タイム・エイント・ロング(おれは長くはない)」そのままになってしまったことは、ブルース界にとっても大きな痛手であった。
[日暮泰文]
『『ブルース&ソウル・レコーズ』第38号(2001・ブルース・インターアクションズ)』▽『Gayle Dean WardlowChasin' That Devil Music; Searching for the Blues(1998, Miller Freeman Books, San Francisco)』▽『Steve FranzThe Amazing Secret History of Elmore James(2003, Blue Source Publications, St. Louis)』