シヤンファン(襄樊)特別市(読み)シヤンファン(英語表記)Xiangfan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

シヤンファン(襄樊)〔特別市〕
シヤンファン
Xiangfan

中国華中地方,フーペイ (湖北) 省北部の市。省轄市で4つの市区のほかラオホーコウ (老河口) 市など3市とシヤンヤン (襄陽) 県など5県から成る。チャン (長) 江の支流ハン (漢) 水の中流にのぞむ。北岸のファンチョン (樊城) と南岸のシヤンヤンが人民共和国成立後合併して成立した。北のホワン (黄) 河扇状地,西のウェイ (渭) 河平原,南のリヤンフー (両湖) 平原を結ぶ交通の要地で,三国時代に争奪の的となり,魏晋南北朝時代,宋代にも南北両勢力の確執の場となった。シヤンヤンは漢代に襄陽県がおかれ,州や府の治所となるなど,政治,軍事の要地として発達。ファンチョンは河港を中心に商業都市として発達してきた。市域ハンタン (漢丹) 鉄道,シヤンユイ (襄渝) 鉄道,チヤオチー (焦枝) 鉄道などが通り,東西をトンパイシャン (桐柏山) 山脈,ターパーシャン (大巴山) 山脈などに囲まれる。丘陵性山地であるが,ハン水とその支流の流域には平地が広がる。米,小麦,綿花を中心とした農作物の集散地となっている。市内は工業の発展が著しく,紡織,機械,電子,化学などの近代的な工場がある。西郊のクーロンチョン (古隆中) は諸葛亮が自耕していた地で,『三国志演義』の「三顧の礼」の故事で知られる。人口 659万 5135,うち市区人口 55万 4054 (1990) 。

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