ゲンツェル(読み)げんつぇる(英語表記)Reinhard Genzel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲンツェル」の意味・わかりやすい解説

ゲンツェル
げんつぇる
Reinhard Genzel
(1952― )

ドイツの宇宙物理学者。ドイツのバート・ホンブルクフォア・デア・ヘーエ生まれ。1975年ボン大学で物理学の学士号、1978年同大学で博士号を取得。1978年から1980年アメリカのマサチューセッツ州にあるハーバード・スミソニアン天体物理学センターで博士研究員、1981年カリフォルニア大学バークレー校の準教授、1985年同教授に就任。1986年以降、ドイツのマックス・プランク地球外物理学研究所所長を務めている。1999年からはふたたびカリフォルニア大学バークレー校の教授を兼任している。

 イギリスの数理物理学者ロジャー・ペンローズらによってブラック・ホールの存在は理論的には証明されていたが、だれもその存在を実際には確認できなかった。1960年代後半までに、天の川銀河の中心のいて座の方向に、太陽系から2万6000光年離れたところに、明るく輝く非常に小さな電波源が発見され、謎(なぞ)の天体は「Sgr A*(サジエースター)」(いて座A*)と命名され、巨大なブラック・ホールの可能性が指摘されていた。ゲンツェルら研究チームは、1992年からチリのラ・シア天文台にある光学望遠鏡の「新技術望遠鏡」(NTT:New Technology Telescope)を使って観測を開始。その後、観測拠点を同じくチリにあるパラナル天文台に移し、口径8.2メートルの望遠鏡4基からなる「超大型望遠鏡」(VLT:Very Large Telescope)を駆使して、天の川銀河中心にある無数の星の観測を長年続けた。当初は、大気などのゆらぎによって銀河から発せられる光はゆがめられ、ぼんやりした不鮮明な画像しか得られなかったが、感度が高く、光をデジタル信号に変えるセンサーの開発、大気のゆらぎを補正する補償光学技術の導入などで、星の位置や動きを鮮明にとらえることができるようになった。

 無数にある星のなかで、明るい星約30個を長期的に観測し、天の川銀河の中心部のSgr A*の半径1光月(12分の1光年)のなかでは、蜂の群れのように激しく動いている一方、その外側の星では、規則正しく楕円(だえん)軌道を描いて周回していることを確認した。

 ほぼ同時に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授アンドレア・ゲズらのチームも、ハワイ島マウナケア山頂にあるケック天文台の直径10メートルの分割鏡をもつ光学近赤外線望遠鏡2基を駆使して、同じSgr A*を長年観測していた。

 2000年代初め、これら二つの研究チームが発表した結論は見事に一致した。それぞれ約30年間別々に観測していたにもかかわらず、Sgr A*に近づくほど星の公転が加速することから、中心部には太陽の400万倍もの質量をもつ巨大なブラック・ホールがあると発表。ブラック・ホールの存在を、間接的な観測ではあるが、世界で初めて実証した。

 この発表が契機となりブラック・ホールを直接観測する機運が盛り上がり、Sgr A*の探索も始まった。日米欧国際共同チームが多数の電波望遠鏡を連携させて観測する「イベント・ホライズン・テレスコープEvent Horizon Telescope(EHT)」によって、2017年、Sgr A*と同時に行っていたM87銀河の中心にあるブラック・ホールの撮影に成功、データの合成、解析・検証を経て2019年に画像が発表された。今後、謎が多いブラック・ホール研究が加速すると期待されている。

 ゲンツェルは、1980年オットー・ハーン・メダル、1990年ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞、2000年ピエール・ジャンサン賞、2007年アルバート・アインシュタイン・メダル、2008年ショウ賞、2009年ガリレオ賞、2012年クラフォード賞を受賞。2020年、長年の観測を通じた「天の川銀河の中心に巨大なブラック・ホール発見」の業績が評価され、ゲズとともにノーベル物理学賞を受賞した。数学的な手法を用いて、「一般相対性理論を基にブラック・ホールが形成されることを証明した」ペンローズとの同時受賞であった。

[玉村 治 2021年2月17日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲンツェル」の意味・わかりやすい解説

ゲンツェル
Genzel, Reinhard

[生]1952.3.24. バートホンブルク
ラインハルト・ゲンツェル。ドイツの天文学者。銀河系(天の川銀河)の中心にある超大質量のブラックホールを発見し,2020年にイギリスの数学者ロジャー・ペンローズ,アメリカ合衆国の天文学者アンドレア・ゲズとともにノーベル物理学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
1975年ボン大学で物理学の学士号,1978年同大学で物理学と天文学の博士号を取得。1978年から 1980年までハーバード・スミソニアン天体物理学センターで博士研究員として勤務した。1981年カリフォルニア大学バークリー校物理学准教授,1985年同教授。1986年からはバークリー校の教授職との兼任で,ドイツのマックス・プランク地球外物理学研究所(→マックス・プランク研究所)の所長を務めた。
1992年,研究チームとともにチリの新技術望遠鏡 NTTを使って銀河中心部の研究に着手。回折限界付近で動作するカメラを使い,銀河中心付近の恒星が長期間にわたってどのように位置を変えるのかを観測した。これらの恒星の軌道速度をはかることによって,銀河の中心が星団のように恒星が密集したものではなく,点状の光源であることをつきとめた。2002年以降は同じくチリの超大型望遠鏡 VLTで,鏡面を動かしながら大気のゆらぎによる撮像の乱れを補正する補償光学技術を使って観測を続けた。銀河の中心を 15.2年周期で回り,17光時以内にまで銀河中心に最接近した特定の恒星の軌道を測定することにより,中心天体が太陽の約 400万倍の質量をもつ,超大質量のブラックホールであることを発見した。

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