ケンタッキーバージニア決議(読み)ケンタッキーバージニアけつぎ(英語表記)Kentucky and Virginia Resolutions

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ケンタッキー・バージニア決議 (ケンタッキーバージニアけつぎ)
Kentucky and Virginia Resolutions

アメリカ合衆国連邦議会が1798年6~7月に制定した〈外人法・治安法〉に反対する決議。当時政権の座にあったフェデラリスツは,同党に批判的なリパブリカンの支持者に外国生れの新聞や雑誌編集者が多かったことから,政府批判を抑えるために〈外人法・治安法〉を,1800年の大統領選挙に合わせて成立させた。ケンタッキー決議はT.ジェファソンが起草しケンタッキー州議会によって採択され(第1次は1798,第2次は1799),バージニア決議はJ.マディソンが起草しバージニア州議会によって採択された(1799)。両決議は,政治的意見を法律上の処罰の対象にすることは,〈言論・出版・集会の自由および請願権〉を保障した憲法第1修正に違反するおそれがあることを指摘している。とくに〈第2次ケンタッキー決議〉は,憲法によって委託が明確化されていない権限を連邦政府が行使する場合,各州はこうした行為を〈無効〉と宣言できるとしたが,これは憲法解釈における〈州権論〉の立場にたつ最初の声明とされている。
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世界大百科事典(旧版)内のケンタッキーバージニア決議の言及

【ジェファソン】より

…93年国務長官を辞したが,97年フェデラリスツのジョン・アダムズのもとで副大統領に選ばれた。この時代,対仏関係の悪化に伴う反政府活動を規制する目的で〈外人法・治安法〉が作られたが,彼はそれを批判する文書を匿名で著し,ケンタッキー州のリパブリカンズ支持者たちはそれを公的声明として採択させることに成功した(ケンタッキー・バージニア決議)。1800年の大統領選挙においてリパブリカンズは勝利し,彼は大統領に選出され,就任演説で,アメリカは〈人類最上の希望〉であると述べた。…

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