エリトリア紛争(読み)えりとりあふんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エリトリア紛争」の意味・わかりやすい解説

エリトリア紛争
えりとりあふんそう

アフリカ北東部にあるエリトリアの独立を目ざす解放勢力とエチオピア武力紛争。1993年5月のエリトリア独立で終結した。19世紀末期にイタリアに植民地化されたエリトリアは、第二次世界大戦中そこを占領したイギリスの暫定支配を経験した後、国連決議に基づき、1952年9月にエチオピアと連邦を結成したが、62年11月にエリトリア議会の決議により、エチオピアの一州として併合された。こうした事態を見越して58年に結成されたエリトリア解放戦線ELF)は61年に武装解放闘争に突入した。71年に解放闘争の主導権はELFから分離したエリトリア人民解放戦線(EPLF)に移ったが、74年のエチオピア革命とその後の混乱に乗じて、エリトリア解放勢力の軍事攻勢も強まった。その後解放勢力は一時劣勢に立たされたが、82年以降勢力を回復し、89年にはエチオピアの反政府武装勢力ディグレ人民解放戦線(TPLF)などとも連携を強めた。90年にはエリトリアの85%を支配下に収め、同年2月には第二の主要都市マッサワMassawaを占領した。91年5月TPLFを主力とするエチオピアの反政府統一戦線エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)がメンギスツ政権を打倒し、代わってEPRDF主体の暫定政権が樹立されると、和平の動きが急激に進み、EPLFの主張する国連監視下の住民投票を実施した結果、93年5月にエリトリアの独立がついに達成された。しかしその後も国境線をめぐって両国間の関係は改善されず、98年6月には空爆戦が勃発、アメリカの仲介で停止に至ったものの、99年2月ふたたび再燃した。これに対し、アフリカ統一機構OAU)は調停案を提示。両国がこれを受け入れ、国連安全保障理事会は即時停戦を求める決議案を採択した。

[小田英郎]

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