アフリカ民族評議会(読み)アフリカみんぞくひょうぎかい(英語表記)African National Council; ANC

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフリカ民族評議会」の意味・わかりやすい解説

アフリカ民族評議会
アフリカみんぞくひょうぎかい
African National Council; ANC

1971年 12月,A.ムゾレワによってソールズベリーで設立されたローデシア (現ジンバブエ) のアフリカ人民族主義組織。ローデシアのアフリカ人を代表する唯一の合法的組織として活動を続け,74年 12月のルサカ会談を契機に,それまで対立しつつ地下活動を行なってきたジンバブエ・アフリカ民族同盟 ZANU,ジンバブエ・アフリカ人民同盟 ZAPUをも糾合し,多数支配実現へ向けて一層積極的な活動を展開した。しかし 75年8月のビクトリア瀑布会談 (少数白人政権との制憲交渉) がもの別れに終ったのち,9月に ZAPU系の J.ンコモ派と ZANU系の N.シトレ,ムゾレワ派に分裂し,76年 10月にンコモ,R.ムガベの愛国戦線 PFが結成されると,同戦線に主導権を奪われ,その影響力は急激に衰えた。それ以後同評議会はムゾレワ派 (統一アフリカ民族評議会) とシトレ派に再分裂したが,いずれもゲリラ組織をもたず,さらに PFが 77年7月アフリカ統一機構 OAUから唯一の正統なジンバブエ解放組織として承認されたため,その勢力は一層衰退した。しかし 78年3月3日ローデシアのスミス白人政権はムゾレワ,J.チラワ,シトレなど黒人穏健3派の代表と黒人多数支配を認めるソールズベリー協定に調印。 79年4月 17~21日の総選挙でムゾレワ派が第一党となったが,イギリス連邦首脳会議はそれを認めず,イギリス政府の調停結果行われた 80年2月 27~29日の総選挙ではムゾレワ派は大敗し,PFが政権を掌握。4月 18日ローデシアはジンバブエとして正式に独立した。 (→ローデシア問題 )  

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