お玉ヶ池種痘所(読み)おたまがいけしゅとうしょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「お玉ヶ池種痘所」の意味・わかりやすい解説

お玉ヶ池種痘所
おたまがいけしゅとうしょ

安政5 (1858) 年5月7日,神田お玉ヶ池松枝町に開設された種痘所設立の計画は大槻俊斎,伊東玄朴らを中心に同4年から始り,勘定奉行川路聖謨が拝領地の使用を江戸幕府に願い出て許可された。建築および運用の資金は,江戸および近郷在住の蘭方医醵金を呼びかけ,83名がそれに応じた。しかし,同5年 11月,大火で類焼したので,翌年下谷和泉橋通の伊東玄朴宅の隣接地に再開された。これがのちに幕府直轄となり,西洋医学所と改称された。

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世界大百科事典(旧版)内のお玉ヶ池種痘所の言及

【種痘所】より

…俗にお玉ヶ池種痘所といわれ,天然痘を予防するために,ジェンナー式牛痘接種法の実施・普及をはかる目的で,1858年(安政5)に江戸在住の蘭方医たちが幕府の許可を得て神田お玉ヶ池に開設した私営の医療施設。当時は種痘館と称し,種痘事業ばかりでなく西洋医学の講習も行われ,江戸における西洋医学の拠点となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」