龍ヶ崎村(読み)りゆうがさきむら

日本歴史地名大系 「龍ヶ崎村」の解説

龍ヶ崎村
りゆうがさきむら

[現在地名]龍ケ崎市こめ町・しん町・かみ町・しも町・よこ町・町・町・すな町など

稲敷いなしき沖積低地にあり、北は羽原はばら村、東は大徳だいとく村、西は馴馬なれうま村。鎌倉時代以後に南郡惣地頭をつとめた下河辺氏の一族龍崎氏が当地を開発し、白幡しらはた台に館を構えて支配したといわれる。応永二三年(一四一六)の上杉禅秀の乱で鎌倉を追われた鎌倉公方足利持氏の供に龍崎尾張守・嫡子伊勢守の名があり(鎌倉大草紙)、永享一二年(一四四〇)の結城合戦には一族の龍崎右京亮が結城方に加わって敗れる(結城戦場物語)。その後同氏は古河公方に仕えたが、しだいに衰え、代わって江戸崎(現稲敷郡江戸崎町)の土岐氏が勢力を伸ばし、永禄一一年(一五六八)には土岐胤倫が龍ヶ崎城(古城)を築いている。土岐氏は天正一八年(一五九〇)佐竹氏の与力蘆名氏に滅ぼされるが、その間に集落の南に堤防を築き、城下町体裁も整えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報