麻生城跡(読み)あそうじようあと

日本歴史地名大系 「麻生城跡」の解説

麻生城跡
あそうじようあと

[現在地名]麻生町麻生

麻生の西北部、霞ヶ浦を一望できる高い丘の突端に位置する。鎌倉時代に常陸大掾氏の一族行方景幹の三子三郎家幹が当地に居住、麻生氏と称して築城したことに始まる(常陸三家譜)。麻生氏の系譜は家幹の子親幹が建長七年(一二五五)に鎌倉将軍の随兵を勤め、その子孫は宗幹・盛幹・為幹・満幹・兼幹・淑幹と続くが後は不明(新編常陸国誌)。麻生氏は近隣に武威を誇り、「行方四頭」とよばれたが、天正一二年(一五八四)同族の島崎安定に攻められ落城した(常陸名族志)城主之幹の最期については二説があり、「新編常陸国誌」は江戸崎えどさき(現稲敷郡江戸崎町)に逃れて土岐氏を頼り、再興を図ったが成功せず終わるところ不明といい、一説は、重傷を負った城主が城の西方榎戸えのきどの山中で自害したとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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