20世紀日本人名事典 「鶴岡 一人」の解説
鶴岡 一人
ツルオカ カズト
昭和期のプロ野球選手,プロ野球監督
- 生年
- 大正5(1916)年7月27日
- 没年
- 平成12(2000)年3月7日
- 出生地
- 広島県呉市
- 学歴〔年〕
- 法政大学〔昭和14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大阪文化賞〔昭和41年〕,放送文化賞(第27回 昭50年度)〔昭和51年〕,スポーツ功労者(文部省)〔平成3年〕,勲四等旭日小綬章〔平成3年〕
- 経歴
- 法大時代から天才ぶりを発揮、昭和14年内野手として南海に入団。新人で本塁打王となる。翌15年召集。戦後、復員とともに21年近畿日本(南海改名)の監督兼4番打者として活躍。最高殊勲選手3回、打点王1回を獲得。43年まで南海ホークスの監督を務めたが、この間、リーグ優勝11回、日本シリーズ優勝2回を飾る。監督通算1773勝は日本最多記録。一軍と二軍を能力に応じて分けるファーム制度の生みの親でもある。40年殿堂入り。解説者生活を送る。選手としては実働8年、754試合、2681打数790安打、61本塁打、467打点、打率.295。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報