鵡川町(読み)むかわちよう

日本歴史地名大系 「鵡川町」の解説

鵡川町
むかわちよう

面積:一六六・四三平方キロ

昭和二八年(一九五三)四月に勇払ゆうふつ鵡川村が町制施行して成立。胆振支庁管内の東端南側に位置し、南東は日高支庁沙流さる門別もんべつ町、東は同支庁同郡平取びらとり町、北は穂別ほべつ町、北西厚真あつま町に接し、南西は太平洋に臨む。町内中央を鵡川が貫流し、豊かな穀倉地帯を形成。東部は緩やかな台地で、北部は標高三〇〇メートル前後の山林厚真町から海岸寄りを通る国道二三五号は鵡川市街を過ぎて内陸に入るのに対し、JR日高本線は海岸寄りを走る。近世後期はユウフツ場所の一部で、かつては下ムカワ場所とよばれていた。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により胆振国勇払郡に所属。同郡は同月に土佐高知藩の支配地となるが、同四年八月に開拓使の管轄に入る(地方沿革略譜)。同六年までに鵡川村・井目戸いもつぺ村・萌別もえべつ村・生鼈いくべつ村が成立。同一三年苫小牧村に勇払郡各村戸長役場が設置され、前記四村を含む勇払郡一六ヵ村を管轄した。同二二年苫小牧村に苫小牧村外十五ヶ村戸長役場が新設された。同二八年この戸長役場から鵡川村以北の八ヵ村が分離し、鵡川村に鵡川村外七ヶ村戸長役場が設置され、前記四ヵ村および穂別村似湾にわん村・累標るべしべ(現穂別町)辺富内へとない村を管轄した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報