鳩谷郷(読み)はとがやごう

日本歴史地名大系 「鳩谷郷」の解説

鳩谷郷
はとがやごう

鳩ヶ谷支台(大宮台地の南端)に位置し、現在の鳩ヶ谷市さくら町・ほん町・坂下さかした町・さと辺りに比定される。鳩井郷とも書く。郷名の初見は「吾妻鏡」寛元元年(一二四三)三月一二日条に「足立郡内鳩谷」とみえ、同郷地頭職をめぐる相論に敗訴した鳩谷兵衛尉重元が、鎌倉幕府の臨時評定に再審議を求めている。それによれば幕府の奉行人は、当初重元がいったん懸物押書を提出して敗訴した以上は、たとえ判決に不満があっても再審議には応じないという態度をとったが、重元の強い要求でその主張を認め、改めて相手方に問状を出すことになったという。ただし相論の相手やその事情などについては不明。また建長八年(一二五六)六月二日、幕府は奥大道(鎌倉街道中道)に出没する夜討強盗の取締を沿道の地頭二四人に命じているが、そのなかに「鳩井兵衛尉跡」がみえる(吾妻鏡)。跡という表現を闕所地の意味にとれば、鳩谷兵衛尉重元は再審議の結果も敗訴に終わり、この時点ではすでに当郷地頭職を失っていたことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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