鮫村(読み)さめむら

日本歴史地名大系 「鮫村」の解説

鮫村
さめむら

[現在地名]八戸市鮫町

八戸城下の北東、太平洋沿岸に位置する。西は白金浜しろがねはま村、南は大久保おおくぼ村に接する。藩政初期は盛岡藩領に属し、元和三年(一六一七)の南部利直下知状(南部家文書)に「さめみなと」とあり、同年根城南部氏の給地に編入されている。雑書の正保二年(一六四五)一〇月二一日条に「三番鱈一於八戸鮫湊佐太郎一昨廿七日」、承応二年(一六五三)一〇月二八日条に「八戸ニて初二本二子石村孫次郎、鮫湊左藤二郎昨朝取上候由ニて」とある。正保四年の南部領内総絵図には「鮫湊」「鮫ケ崎」がみえるが、村名の記載はない。寛文四年(一六六四)八戸藩の創設とともに同藩領に編入。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳では浜通はまどおり村のうちとして浜通に一括される。

当村の北西の海上約一五〇メートルに位置するかぶ島との間は藩政当初より廻船港湾として利用され、鮫湊・鮫浦と称された。元禄年間に至り、廻船の入港数が増加すると、港町としての町並の整備が行われた。元禄六年には一九軒の屋敷割が行われ(「御勘定所日記」同年八月一〇日条)、同一六年にも街区の整備が行われて、舟着場・倉庫用地などの屋敷地が区割され、一段と整備が進んだ(同日記同年四月八日条)。港湾の施設としては集落の北の高台に浦役所が開設され(「八戸浦方絵図」上杉家蔵)、浦奉行が常駐して廻船などの海運関係を取扱った。浦役所の西の海岸低地には海産物を貯蔵する浜蔵が建造された(「西村家由緒書上」西村家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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