高鼻村(読み)たかはなむら

日本歴史地名大系 「高鼻村」の解説

高鼻村
たかはなむら

[現在地名]大宮市高鼻町・寿能町じゆのうちよう堀の内町ほりのうちちよう土手町どてちよう東町あずまちよう大門町だいもんちよう宮町みやちよう下町しもちよう浅間町せんげんちよう吉敷町きしきちよう天沼町あまぬまちよう

大宮宿の北東部にあり、大部分を同宿に囲まれ、南西部のみ土手宿どてじゆく村に接する。見沼の低地に突出する台地上にある。南東方の見沼低地に持添新田があり、西は見沼代用水(西縁)を挟んで上天沼村、東はしば川を境に新右衛門しんえもん新田。武蔵国一宮氷川神社があり、中山道に達する参道も当村に属した。中世には高鼻郷に含まれた。天正一九年(一五九一)一一月氷川神社は徳川家康から大宮の内で一〇〇石を寄進された(「徳川家康寄進状」岩井家文書)。同二〇年四月の高郷大宮之村御縄打水帳写(小島家文書)には名請人のなかに氷川・神主の名がみえる。同年正月の神領地方引渡状写(岩井家文書)によると、氷川神社領の反別田四町一反余・畑一一町余・屋敷大四〇歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報