高田村助弥(読み)たかだむら・すけや

朝日日本歴史人物事典 「高田村助弥」の解説

高田村助弥

生年生没年不詳
江戸前期の義民。大正9(1920)年の古牧尋常高等小学校編『義民助弥に関する調書』によれば,信濃(長野県)水内郡高田村(南高田村下高田)の人。寛文・延宝年間(1661~81),別説では明暦・万治年間(1655~61)に松代藩領で年貢引き上げに反対して起きた二斗八升騒動の首謀者。年貢収納は是正されたが,鳥打峠で処刑された。時に18歳であったという。助弥に関する史料は,延宝2(1674)年の松代条目(寺子屋手本に使用され一名助弥条目と呼ぶ)と堀村伝兵衛,西尾張の村部村吉兵衛,下高田村助弥の3人の御仕置きの記事だけである。有名な義民になったのは,大正14(1925)年『信濃毎日新聞』に記事が連載されたことによる。同年「義民助弥之祠」が建立された。<参考文献>小林郊人『信濃農民史考』

(小椋喜一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高田村助弥」の解説

高田村助弥 たかだむら-すけや

?-? 江戸時代前期の農民。
信濃(しなの)(長野県)水内郡(みのちぐん)南高田村の人。延宝2年(1674)松代(まつしろ)藩の年貢引き上げに反対しておきた二斗八騒動の頭取として,鳥打峠で処刑された。

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