…その一方で,茶事はまた道具中心の展開も示したのであって,とくに明治に入って,財閥富商の間に茶道具の収集熱がたかまってくると,名品を誇示する茶事が盛行するようになる。この種の茶事記録は,高橋箒庵(1861‐1937)が《時事新報》へ連載執筆した記録を中心に編集刊行された《東都茶会記》12冊,《大正茶道記》8冊,《昭和茶道記》1冊に詳述された。四大茶会記が,記録文学としての評価を得ようとするのに対し,箒庵の実見記は,その後,茶の湯ジャーナリズム,ひいては茶器の研究,茶道史の発展に大きな影響を与えたといえる。…
…その没後,次男平岡次郎が2世吟舟をついだが,作曲や教授は分家家元の東明柳舟(1882‐1949)が名高い。柳舟は初世吟舟の次女揚子で,夫の高橋箒庵(1861‐1937,本名義雄,芸名一舟)の作詞による作品を多く残している。代表作に《花の心》(1926),《此君》(1929)など,華麗で繊細な曲が多い。…
※「高橋箒庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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