20世紀日本人名事典 「高橋 和巳」の解説
高橋 和巳
タカハシ カズミ
- 生年
- 昭和6(1931)年8月31日
- 没年
- 昭和46(1971)年5月3日
- 出生地
- 大阪府大阪市浪速区貝柄町
- 学歴〔年〕
- 京都大学文学部中国語学中国文学専攻〔昭和29年〕卒,京都大学大学院中国文学専攻〔昭和34年〕博士課程修了
- 主な受賞名〔年〕
- 文芸賞(第1回)〔昭和37年〕「悲の器」
- 経歴
- 昭和20年大阪大空襲で焼け出され、疎開先で文学書を濫読する。24年京都大学に入学、“政治と文学”が問題とされる中で処女作「片隅から」を発表。37年「悲の器」(第1回文芸賞)で諸家の絶賛を受ける。40年には’50年代の学生運動を描いた「憂鬱なる党派」を発表。42年京都大学助教授となり、44年学園闘争の渦中では、全共闘派の批判を最も誠実に受けとめた知識人といえる。「邪宗門」(41年)、「散華」(42年)、「我が心は石にあらず」(42年)、「日本の悪霊」(43年)、「わが解体」(44年)などつねに問題作を発表。一方「李商隠」(33年)など優れた中国文学研究の成果も残す。45年大学を辞すが、翌46年病にたおれ、死去。「高橋和巳全集」(全20巻 河出書房新社)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報