馬越城跡(読み)まこしじようあと

日本歴史地名大系 「馬越城跡」の解説

馬越城跡
まこしじようあと

[現在地名]菱刈町前目

川内せんだい川中流右岸の標高二一二メートルを最高地点とする南東から北西に延びるシラス台地の端とその周囲に築かれた山城。高見たかみ城ともいう。「三国名勝図会」は馬越重隆(菱刈重妙の庶長子)を最初の城主にあてている。菱刈重妙は保元元年(一一五六)後白河天皇から太良たら院と牛屎うしくそ院を与えられ、建久四年(一一九三)源頼朝下文で両院を安堵されて弟の師重とともに翌年現地に入り、やがて菱刈を名乗ったとされる(「藤原姓菱刈氏系図」菱刈文書)。重妙は菱刈郡司で、菱刈氏は禰寝ねじめ南俣みなみまた(現根占町)を知行する力があり(大隅国建久図田帳)、一族を馬越に入れた。だが当城と菱刈氏の直接の関連は確認できない。鎌倉―室町期当城の城主は同時期菱刈一族馬越氏だったと推定されている。文明六年(一四七四)以前に菱刈元隆三男氏重が馬越氏を継承した(「行脚僧雑録」旧記雑録、前掲藤原姓菱刈氏系図)。だが兄隆通・重名が早逝、父も川辺で二四歳で死んだため(藤原姓菱刈氏系図)、当城にいた氏重は馬越氏と菱刈氏当主を兼ねることになった。

文明一七年五月三日氏重の子忠氏(隆通の子ともいう)は守護島津忠昌に見参し(文明記)、忠氏の子重時は忠昌と結んでおり(八月二二日「島津忠昌書状」旧記雑録)、一時期横川よこがわ院・牛屎院も領した(応永七年二月一〇日「島津元久書下写」・大永八年九月一〇日「島津勝久宛行状写」菱刈文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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