菱刈町(読み)ひしかりちよう

日本歴史地名大系 「菱刈町」の解説

菱刈町
ひしかりちよう

面積:一〇〇・四八平方キロ(境界未定)

県北部に位置し、東は宮崎県えびの市と姶良あいら吉松よしまつ町、南は同郡栗野くりの町・薩摩郡薩摩町、西・北は大口市と接する。北部から東には黒園くろそん山をはじめとする肥薩ひさつ山塊の山山が連なり、南は栗野町にある国見くにみ岳から北西に延びた薩隅さつぐう山塊が迫る。ほぼ中央を川内せんだい川が南東から北西へと流れ、周囲の山系から市山いちやま川・重留しげとめ川・山田やまだ川・羽月はつき川・楠元くすもと川などが川内川に向かって流れ込む。町域中央部は同川本支流によって形成された菱刈盆地南東半を占める。国道二六八号の菱刈バイパスが町域のほぼ中央部を南東から北西に貫き、二六八号が市街地を南東から北西に走る。同道からは主要地方道菱刈―横川よこがわ線、県道針持はりもち―菱刈線・出水いずみ―菱刈線などが分岐する。

町域は大口市とともに県内では最も早く考古学研究が行われた地域の一つで、とくに縄文時代の研究は九州では先駆けて行われ、伊佐縄文の代名詞も生れた。縄文時代の遺跡としては、早期の標式遺跡で塞ノ神式土器や手向山式土器が出土した田中白坂たなかしらさか遺跡や、前期から晩期までの各期にわたって多種遺物を出土した田中の松美堂まつびどう遺跡、後期の北部九州系の鐘崎式土器とともに多量の市来式土器が出土した南浦みなみうら年の宮としのみや遺跡などが発掘調査されている。弥生時代の遺跡としては住居跡や土壙墓が発見された田中の前畑まえはた遺跡が著名である。古墳時代の遺跡では住居跡などが発見された徳辺の山下とくべのやました遺跡や市山のかん地下式板石積石室墓群、前目の菱刈小学校まえめのひしかりしようがつこう地下式横穴墓群・前目灰塚まえめはいづか地下式横穴墓群などが発掘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報