日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬市(中国)」の意味・わかりやすい解説
馬市(中国)
ばし
中国、明(みん)代に遼東(りょうとう)と宣大に設けられた定期市(いち)。女直(じょちょく)、ウリヤンハイ(兀良哈)、オイラート(瓦剌)、タタール(韃靼)など明の北方に位置した諸民族との馬を中心にした交易を名目としたが、実際には明側は多大の出費を要したのであり、北アジア諸民族の侵攻を防ぐための懐柔政策の一つであった。遼東馬市は女直、ウリヤンハイのために永楽(1403~24)初期に開原、広寧(こうねい)に設置され、のちには建州女直を対象として撫順(ぶじゅん)にも開かれ、万暦(1573~1619)末年まで続いている。宣大馬市はオイラート、タタールを対象とし正統年間(1436~49)の大同開市に始まり、ついで宣府、のちには寧夏(ねいか)、甘粛(かんしゅく)にも及んだ。途中で変遷はあるが明末まで続いた。政府買取りの官市のほかに民間取引の私市も開かれ、家畜、毛皮の北方産物と、織物、穀物、日常雑貨の中国物産が交易された。
[松村 潤]