風早浦(読み)かざはやうら

日本歴史地名大系 「風早浦」の解説

風早浦
かざはやうら

[現在地名]安芸津町風早

風早村の浜方部分で、三津みつ湾に面する。風早の地名は古く、伊予国風早郡(現愛媛県温泉郡)正倉院文書に造東大寺司として名のみえる風早直との関係が想定され、「万葉集」巻一五に「風速の浦に船泊して夜作る歌二首」として

<資料は省略されています>

などの歌が載る。この浦が備後国長井ながい(現三原市)・安芸国長門ながと(現安芸郡倉橋町)とともに、奈良時代の瀬戸内海航路における船泊の場所であったことの証である。なお永正年間(一五〇四―二一)宗碩が撰した「勅撰名所和歌抄出」にも風早浦がみえる。

近世にもこの付近が船泊に格好の地であったことは、広島藩領分の浦島船繋場所一五の一として、三津湾内の小芝こしば島が指定されていることでも知られる(広島藩御覚書帖)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報