須賀川町(読み)すかがわまち

日本歴史地名大系 「須賀川町」の解説

須賀川町
すかがわまち

[現在地名]須賀川市池上町いけがみちよう古河ふるかわ栗谷沢くりやさわ妙見みようけん北上町きたうわまち古屋敷ふるやしき馬町うままち旭町あさひまち南上町みなみうわまち朝日田あさひだ和田道わだみち桜岡さくらがおか寺田てらだ牡丹園ぼたんえん新田しんでん東作ひがしさく花岡はなおか六軒ろつけん千日堂せんにちどう一里坦いちりだん高久田境たかくださかい広表ひろおもて並木町なみきまち岩作いわさく五月雨さみだれ八幡山はちまんやま八幡町はちまんまち大黒町だいこくちよう諏訪町すわまち北町きたまち上北町かみきたまち山寺道やまでらみち塚田つかだ池下いけした東町ひがしまち宮先町みやざきちよう加治町かじまち中町なかまち本町もとまち中山なかやま卸町おろしまちだい稲荷町いなりまち弘法坦こうぼうだん栄町さかえまち長禄町ちようろくちよう南町みなみまち大町おおまち横山町よこやままち館取町たてとりまち堀底町ほりそこまち岩崎いわさき

現須賀川市域の中心部、阿武隈川西岸に合流する釈迦堂しやかどう川の南岸低台地に立地し、古代の官道、近世の奥州道中が通り、会津への道と磐城への道が交差する交通の要衝。鎌倉時代末から室町時代には須賀川二階堂氏が領有し、代官による支配を行っていたとされる。元弘三年(一三三三)一一月三〇日の岡本隆弘着到状(岡本元朝家蔵文書)に「須賀河」とみえ、隆弘は義良親王を奉じ多賀たが(現宮城県多賀城市)に赴く北畠親房父子軍に参加している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報