日本大百科全書(ニッポニカ) 「音阿弥(おんあみ)」の意味・わかりやすい解説
音阿弥(おんあみ)
おんあみ
(1398―1467)
室町(むろまち)時代の能役者。観世流シテ方。実名は観世三郎元重(もとしげ)。流祖観阿弥(かんあみ)の孫、世阿弥(ぜあみ)の甥(おい)にあたる。将軍足利義教(あしかがよしのり)・義政(よしまさ)の寵(ちょう)を得て全盛を誇り、有名な糺(ただす)河原の勧進(かんじん)能をはじめ活発な演能活動をみせた。「希代の上手、当道にならびなし」と評された名人。作品こそ残していないが、能の発展史上重要な人物である。一方、世阿弥・観世元雅(もとまさ)父子の一座は義教の弾圧を受けて衰えた。世阿弥の佐渡配流も、音阿弥に秘伝を譲らなかったためではないかといわれる。不遇の元雅が父に先だって客死したあと、音阿弥が4世観世大夫(かんぜだゆう)を継承したが、なぜかいまの観世家では元雅の大夫就任を代に数えず、音阿弥を観阿弥、世阿弥に次いで3世としている。観世信光(のぶみつ)は音阿弥の第7子。
[増田正造]
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