革手郷(読み)かわてごう

日本歴史地名大系 「革手郷」の解説

革手郷
かわてごう

上川手かみかわて・下川手を遺称地とし、一帯に成立していた。京都長講堂領平田ひらた庄の内。領家は山科家河手・皮手とも記された。永治二年(一一四二)一〇月日の茜部庄住人等解案(東大寺図書館蔵)に「皮手村」とみえ、平田庄より小厚見小路が当村に通っていた。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂領目録(島田文書)によれば「革手加納郷」は正月の元三雑事として御簾御座・京莚紫畳、五月の仕丁一人、楊梅小路に面した門の番を九月中―下旬に二〇日間三人、二月の彼岸の布施布などを負担していた。鎌倉中期頃と推定される年月日未詳の六条殿修理料支配状写(八代恒治氏旧蔵文書)では、「革手加納郷」は油小路に面した築垣一本を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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