彼岸(読み)ひがん

精選版 日本国語大辞典 「彼岸」の意味・読み・例文・類語

ひ‐がん【彼岸】

〘名〙
① (pāramitā 波羅蜜多を漢語として意訳した「到彼岸」の略) 仏語。絶対の、完全な境地、悟りの境界に至る修行。また、その悟りの境地。生きているこの世を此岸(しがん)として、目標となる境界をかなたに置いたもの。〔勝鬘経義疏(611)〕 〔大智度論‐一二〕
② 春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《季・春》
蜻蛉(974頃)中「つれづれとあるほどに、ひがんにいりぬれば」
向こう側の岸。転じて、(こちら側の)人間的な世界に対して、それを超越した世界をいう。⇔此岸(しがん)
浄瑠璃・釈迦如来誕生会(1714)三「ひがんしがんの柳の髪は長く乱るれど」
④ 植物「ひがんざくら(彼岸桜)」の略。
※落語・廓の夜桜(1900)〈六代目桂文治〉「東台(うへの)彼岸桜(ヒガン)が」

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デジタル大辞泉 「彼岸」の意味・読み・例文・類語

ひ‐がん【彼岸】

《〈梵〉pāramitāの訳「到彼岸」から》
仏語。生死の迷いを河・海にたとえた、その向こう岸悟りの境地をいう。⇔此岸しがん
彼岸会ひがんえ」の略。 春》
雑節の一。春分の日秋分の日をそれぞれ中日とする各7日間。春の彼岸と秋の彼岸。
向こうがわの岸。
「蛍は…スウと遠く―の葦間に消えた」〈木下尚江良人の自白
[類語](4向こうあちらあっち彼方あなた彼方かなたこちらこっちそちらそっち

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改訂新版 世界大百科事典 「彼岸」の意味・わかりやすい解説

彼岸 (ひがん)

春分秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず,日本にしかない。彼岸の語はふつうサンスクリットpāramitā(波羅蜜多)の訳〈到彼岸〉の略とされ,仏教に由来する行事とするが,太陽信仰に関係があり,〈日の願〉から〈日願(ひがん)〉になったと推定する五来重の説もある。

 春秋の2月,8月(陰暦)に7日間の仏事を行うことは,806年(大同1)を最初とし,平安時代初期には恒例となっていたことが《日本後紀》《延喜式》にみえるが,この仏事が彼岸会とよばれていたかどうかは不明である。しかし《宇津保物語》《源氏物語》などに彼岸の語がみえるので,平安中期には彼岸や彼岸の仏事が定着していたことがわかる。浄土教が興隆してからは,彼岸の仏事に日想観や念仏など浄土教的なものが顕著になった。四天王寺の西門が極楽の東門に向きあっているとの信仰があり,平安末期以降,彼岸に四天王寺西門の落日を観ずる風習が盛んであったが,浄土教信者にさらに影響を与えたのは唐の善導の《観経疏》第三であった。同書には,太陽が真東から出て真西に没する春分・秋分にこそ日想観を行い,極楽往生を願うべきであることがのべられている。彼岸会は盂蘭盆(うらぼん)会とともにはやくより仏教行事となっており,その典拠なり意味づけについて今日ひろくなされている説明は,六波羅蜜の徳目(布施・持戒忍辱(にんにく)・禅定・精進(しようじん)・智慧)を前後3日のそれぞれにあて,中日は先祖に感謝する日とし,宗教的理想に向かっての実践週間が〈お彼岸〉だとするものである。巧みな解釈ではあるが,これでは彼岸が日本独自の国民的行事になったことの説明にはならない。

 民間の歳時習俗には農耕儀礼と結びついたものが多いが,民間の彼岸行事もまた農耕と関係が深い。彼岸会の民俗的基盤に注目する必要があろう。京都府宮津市付近や兵庫県の旧美囊(みのう)郡・旧加東郡などには,彼岸の間に〈日の伴〉とか〈日迎え日送り〉といって,朝は東方の,日中は南方の,夕方は西方の社寺や堂に参る行事がのこっており,原始的な太陽崇拝のなごりと考えられている。また北関東地方には寺の境内や仏堂の前に天棚(てんだな)を設け,日天・月天の木牌を立て,その周りを踊り回る天道念仏があるが,天道とは太陽のことである。また阿蘇山麓や鹿児島県薩摩地方には彼岸に山に登るところもあるが,山は祖霊のとどまるところであった。春の農耕開始にあたって,豊作に必要な太陽をまつり,祖霊の加護を祈る儀礼が彼岸に行われ,これが百万遍念仏先祖供養と結びついて,しだいに仏教行事にくみこまれていったとみられるのである。現行の彼岸行事が例外なく墓参,先祖供養またはこれと結びついた念仏会などを内容としている要因はここにある。1948年制定の〈国民の祝日に関する法律〉では,春分の日は〈自然をたたえ,生物をいつくしむ日〉,秋分の日は〈祖先をうやまい,なくなった人々をしのぶ日〉とされている。
執筆者: 彼岸は日本独自の暦注で,具注暦にはなく仮名暦にのみ記載された。春・秋ともに7日間であるが,春分・秋分の日を中日と決めたのは1844年(天保15)の天保暦からである。それ以前は時代によってその日取りの決め方が変わっている。彼岸の語は《源氏物語》などにもでてくるが,江戸中期までは,春分・秋分の日から3日目が〈入り〉で6日目が中日であった。宝暦暦,寛政暦が採用されていた江戸中期には,春は春分前6日目,秋は秋分の前日がそれぞれ〈入り〉であった。また1844年以後は春分・秋分の計算方法を変えたので,それ以前と比べると春分は2日早く,秋分は2日ほど遅くなっている。古い文献で彼岸が8日間になっているときがあるが,これは彼岸の7日の間に没日(もつにち)という日があると,その日は正日にあらずとして数えなかったからである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「彼岸」の意味・わかりやすい解説

彼岸【ひがん】

春分秋分の日を中央にはさむ7日間。雑節の一つ。初日を彼岸の入り,春分・秋分を彼岸の中日(ちゅうにち),終日を彼岸のあけという。昼夜の長さがほぼ等しく,〈暑さ寒さも彼岸まで〉の諺(ことわざ)がある。→彼岸会
→関連項目魂祭牡丹餅六波羅蜜

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日本文化いろは事典 「彼岸」の解説

彼岸

春分の日(3月20日頃)と秋分の日(9月23日頃)を中日〔ちゅうにち〕として前後3日間の7日間のことを「彼岸」といいます。そして初日を「彼岸の入 り」といい、最終日を「彼岸の明け」と呼んでいます。地方によって若干の違いはありますが、先祖を供養し、ぼた餅やおはぎ、お団子や海苔巻き、いなり寿司 などを仏壇に供えます。

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普及版 字通 「彼岸」の読み・字形・画数・意味

【彼岸】ひがん

仏教で涅槃(ねはん)をいう。あの世。〔大智度論、十二〕生死を以て此岸と爲し、涅槃を彼岸と爲す。

字通「彼」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「彼岸」の意味・わかりやすい解説

彼岸
ひがん

仏教用語。理想の境地をいう。生死輪廻する現世を此岸とし,煩悩を解脱した涅槃の境地をいう。また彼岸会のこと。

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葬儀辞典 「彼岸」の解説

彼岸

春分、秋分の日を中心に前後3日ずつの7日間をいう。一般的に、この間に墓参りをします。

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世界大百科事典(旧版)内の彼岸の言及

【あの世】より

…あの世・この世は仏教でいう彼岸・此岸に対応する語であり,その意味であの世は極楽・浄土または地獄をさす。一般にはもっと漠然と死後の世界,この世とは別の場所の意に用いられる。…

※「彼岸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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